人頭税石(別名ウパカリイス 賦計石)は、税を賦課するための計測用石である。人頭税は、薩摩藩の琉球侵攻後、宮古と八重山だけに布かれた悪税で、制度化されたのは1637(寛永14)年、そして明治35年までの長期に亘って村人を苦しめた。
税は現物で15歳から50歳までの男はアワ(八重山は米)、女は反布を納めていた。
当時は、戸籍や生年月日の不明確なものが多く、この石柱の高さが、およそ1.45mで、青年の身長に近いことから、納税適齢期を測定するために利用したといわれている。あまりの厳しさに自ら身体に傷つけたり、あるいは山中に逃げて盗賊になる者もいた。
しかし、ひとたび賦課されれば村全体が連帯責任を負っており、働き手が減るほど、更に重く覆いかぶさってくる。女子は終日村番所で機織りを強制された。
ここは時には貞操の危機にさらされる場所でもあったという。
この賦計石については、道路拡張のために移転とか、文化財として現在の地で保存とか、1974年の平良市(2005年10月1日、平良市と周辺4町村が合併、宮古島市となる)市議会で議論された。
余りに過酷な人頭税制に関連する石柱であるだけに、今なお取り沙汰されるのであろう。
以上
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