現在毎日新聞和歌山版に連載中の「わかやま検定」で、6/30掲載の本文を紹介します。
私が担当する当物語は1回/月 土曜日に掲載され、今後1年間連載されます。新聞に掲載後「みんなの広場」に投稿しますので、お読みください。 次回は8月末「鹿ヶ瀬峠」です。
有田 糸我峠に伝わる 平清盛 誕生秘話
有田市と湯浅町の境界をなす糸我峠は平家物語「祇園女御の巻」にその名が登場する。
院政で知られる白河上皇が熊野に詣でる途中、ここ糸我峠で山芋のむかご(葉の付け根にできる小さな肉芽)に興味を持たれ、従う武士・平忠盛に採ってまいれと仰せになった。
忠盛はむかごを上皇に差し出し「いもが子は這うほどにこそなりにけり(山芋に子がなり、つるが這うようになっている)」と上の歌を詠み、上皇はそれを受けて「ただもりとりて、養いにせよ(すぐにもぎ取って食材にせよ)」と下の歌を詠んだと書かれている。
なんの変哲もないこの歌のやりとりにはこんな裏話がある。
上皇は忠勤に励む忠盛を信頼し、自分の子を身籠っていた祇園女御を忠盛に授けていた。忠盛はここ糸我峠で山芋の歌にかけて「上皇の愛した女御の子供は這うようになった」と告げたのだった。上皇も又これに応えて「忠盛の子として養育せよ」をかけて歌で返した訳です。これを聞いて忠盛は大いに喜び、この子に「清盛」と名付け自分の子供として養育した。
源平の世、「盛者必衰のことわり」を一代で体現したあの平清盛の誕生秘話である。
(紀州語り部 大峯登)
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