天野錦蔵氏は、昭和32年に清水工場に入社された翌年頃、昼休みに初めて弓を手にされ、その後工場内の職場対抗戦でチーム優勝したのがきっかけで、以来49年間すっかり弓にハマッテしまったそうです。
その後、昭和36年に、中央研究所が
埼玉県大井町
(当時)へ移転したのを機に、同好の士と共に弓道部を創部。昭和39年には中山茂(5段教士)総務部長(当時)のご尽力によって、県内でも数少ない「5人立ち道場」も完成し、さらに全日本勤労者弓道選手権大会では団体戦3位(天野錦蔵氏ほか2名)、技能優秀賞(天野氏)と華々しく活躍されました。このことは、小生も、研究所の快挙として大きな話題になったことを記憶しています。また、明治神宮、伊勢神宮で交互に開催される全日本弓道選手権大会(天皇杯)に埼玉県代表として6年間出場。
現在は、埼玉県弓道連盟の副会長として県内外の大会、行事でご活躍され、自身の修練に励まれる傍ら、県内各地の道場で後進の指導に当たられています。
氏の段位・称号は「七段・教士」とのことですが、これは、県弓道連盟傘下の8000名の弓道士の中でも、僅か十名位と少なく、技術とは別に、優れた品格を備えることが非常に重要な資格要素になるとか。 今も、「正しさ」「真善美の顕現」「和合」を求めて、弓道界への貢献(お礼)を重ねながら「八段」に挑戦中とのことです。
見事、昇段を成就されんことを祈ります。
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