氏 名
大峯 登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成19年10月8日
表 題
 熊野古道おもしろ物語 (切目王子)
本   文 


 9/22の毎日新聞和歌山版に掲載の本文を紹介します。

<切目王子は清盛の栄華へのターニングポイント>

 時は平治元年(1159)12月、平清盛は嫡子重盛をはじめ、一族郎党50余騎を引き連れて熊野参詣に出立した。

 一行が切目(印南町)に到着した時、都からの早馬によって源義朝(頼朝、義経の父)らがクーデターを起こしたことを知った。

 いわゆる「平治の乱」の勃発である。クーデターの中心人物、源義朝は源氏の頭領であり、無類の戦上手である。反して清盛の現況は熊野参詣の途中であり、軍勢はわずか50騎余り、武具も装備も完全ではない。
 清盛は都へ取って返すべきか、このまま熊野へ向うべきかを決断するために切目王子の神前で軍議を開く。そこで重盛が「平家の頭領として、たとえ少数といえども一丸となって都に駆け戻るべきだ。軍勢は途中で整えてゆけばよい」と進言する。清盛はこれを聞き帰京を決断する。そこへ熊野別当(熊野三山の統括者)堪増が20騎、湯浅権守宗重(武士団「湯浅党」の頭領)が30余騎を引き連れて清盛の軍勢に加わった。

 100騎余りとなった清盛軍は切目王子に戦勝を祈願し、ご神木「なぎ」の小枝を各自左袖に付けて、疾風のごとく都目指して駆け戻る。清盛軍は途中軍勢を整えながら駆けに駆け、平家の本拠地である京都六波羅に駆け戻り、軍勢・軍装を整えて義朝軍を討ち破った訳です。

 時代はこれより「平家にあらずんば人にあらず」平家栄華の始まりです。従って清盛にとってここ切目王子は「栄華へのターニングポイント」であった訳です。

                                         (紀州語り部 大峯登)

 

印南港
切目王子