3月1日の毎日新聞地方版に掲載の本文を紹介します。
次回は4月上旬に新宮の「速玉大社」を投稿します。
悲劇!補陀洛渡海
JR那智駅近くの「補陀洛山(フダラクサン)寺」は、「浜の宮大神社(オオミワ)(浜の宮王子)」の守護寺で、インドから熊野に漂着した「裸形(ラギョウ)上人」が開いたといわれている。
この補陀洛山寺は補陀洛信仰の根本道場であり、補陀洛渡海の船出の地でもある。
補陀洛信仰とは、南の海の果てに観音浄土の補陀洛山があり、ここに漂着すれば観音菩薩の慈悲によって成仏できるという教義で、この行為を補陀洛渡海という。渡海者は周囲を板で釘付けされた1?ほどの屋形船に乗り、積み込まれるのは当座の水と食物だけで、熊野灘を波風にまかせて南の沖へ流されてゆく、まさに死出の船出である。補陀洛渡海は平安時代から江戸時代まで数多く行われ、その渡海僧の墓が当寺の裏山に安置されている。
墓地からは那智の海が見渡せる。右手の沖合に見えるのが渡海船の引き綱を切ったという綱切島、その左手が渡海船の帆を立てたという帆立島、さらに左手の浜辺に近い島がコンコブ島である。このコンコブ島にはこんな悲話が伝えられている。
金光坊(コンコウボウ)という渡海僧がいた。彼は渡海に怯え、船出後釘付けされた渡海船の側板を破って脱出し、このコンコブ島に漂着した。しかし金光坊は人々によって海の中に押し込まれて死んだという。コンコブ島は金光坊の島という意味であろう。
那智の浜では、人の死骸を食うという「ヨロリ魚」を非業の死を遂げた金光坊の生まれ代わりだといい、この魚を食えば金光坊の供養になるといわれている。
紀州語り部 大峯 登
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