7月盛夏、長崎県の壱岐島を訪ねた。見所を紹介します。
1)左京鼻
八幡半島の突端にあり海蝕断崖が1km続く。海上から出ている柱状節理の岩礁(寫真)は上部の岩柱(右側)が玄海地震(H 17・3・20)で折れてしまった。それ迄は2本あり夫婦岩(柱)と呼ばれていた。
2)はらほげ地蔵
腹(実際は胸)に丸い穴が空いた六体の地蔵。穴がほげる(あいている)。満潮になると体半分が海水に浸かる。海女の海難者の冥福、捕獲鯨の慰霊を行う為にあるという。
3)原の辻遺跡
魏志倭人伝の記事と一致する遺構・遺物を発見した。又、日本最古及び大陸・朝鮮との交流を示す遺構・遺物が多い。原の辻展示館には特に弥生時代(前・中・後期)の土器、装飾品、武器、副葬品、貨幣(五しゅ銭・大泉五十・貨泉)、人面石などの展示品に特色がある。
4)猿岩
黒崎半島の先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩で、猿が遥か彼方を眺めているように見える。
5)黒崎砲台跡
猿岩のすぐ近くにある。設置された砲台は戦艦土佐にあった主砲(主砲は2本・砲身18m、砲弾の直径40cm・重さ1トン、射程距離35km)だった。併し、ここの砲台に活躍の場はなかった。戦後、米軍が砲台を破壊したが果たせず結局、八幡製鉄が解体した。
6)蒙古襲来(元寇)
1274(文永11)年、1281(弘安4)年の2回、元のフビライ軍が日本を襲った。文永の役(平景隆)、弘安の役(少弐資時)、元寇の碇石、千人塚、安国寺、壱岐神社など蒙古襲来の名残が各所にある。
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