この壕は、昭和19(1944)年8月から3ヶ月ほどで日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた壕で、太平洋戦争中、最も熾烈を極めた沖縄戦において、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部のあったところである。司令官大田實少将他多数(約4000名)の
将兵が、小禄飛行場(現那覇空港)近くに上陸した米軍と激戦を展開。昭和20(1945)年6月13日午前1時頃、この地において壮烈な最後を遂げた。壕内には、将兵が鍬やツルハシで掘った跡や、自決時の手榴弾の弾痕が残る幕僚室、大田司令官の辞世の句が白壁に鮮やかに残る司令官室などが当時のまま保存されている。
* 『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』
建設年月日 昭和19年8月10日着工・同年12月完成
施 工 第226設営隊山根部隊(山根巌少佐)
規 模 壕の長さ約450メートル(当時)
内 容 司令官室、幕僚室、作戦室、通信室、暗号室、下士官室、発電室、その他
30数年前に行ったときは、壕内の状態は生々しさが強烈であったが、今は保存状態を維持するための補修がなされているため、迫力が小さくなった。
周辺には海軍戦没者慰霊之塔、海軍壕資料館がある。
以上
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