氏 名

吉岡 一誠

 所 属
東燃関東地区OB会
 掲 載 日
平成21年2月07日
表 題

ごぶさたしています(生まれ故郷の生活)

本   文 


 私はいま妻と二人安穏な田舎暮らしをしています。平成10年、生まれ故郷の砥部町に戻りました。                   その後は、私は数人のお弟子さんに観世流謡曲を教え、家内はお茶の稽古などをしながらの呑気な生活です。砥部町は松山市の隣町で、我が家からは松山市の中心地まで車で30分足らず、松山空港、JR松山駅への所要時間も30分余りで、比較的交通の便利なところです。

 私は現在も元東燃謡曲部の皆さんの仲間に入れていただき、会社時代から引き続き野村四郎先生に謡曲のご指導を受けています。娘が上野池之端に住んでいるので、謡曲の稽古と孫たちに会う楽しみも兼ねて年に数回上京します。

 故郷に帰ってきて11年になりますが、いろいろな出来事に関与しながら、いつの間にか田舎暮らしに慣れ親しんでいます。小、中、高の同級会などにも顔を出して何となく世間との繋がりも保っています。そして、友人、隣人が分けてくれる無農薬、減農薬の旬の野菜、果物、また、高級ではないけれど新鮮で美味な瀬戸内の魚類など、食生活には大満足をしています。

 この10年余りの間には大きな出来事もありました。

 平成13年8月には、野村四郎先生の能の公演が松山市で開催されました。高浜虚子の新作能「実朝」でした。私も一生懸命にお手伝いをいたしました。

 また、平成14年には、町長、町議会同時リコール運動が勃発し、私はいつの間にか運動の参謀になり、リコールは成功しました。成り行きで、平成14年、17年、そして、本年と、現町長の選挙事務長を3回も務めました。さすがに70歳の老体には少々堪えました。只今は「暫時休憩」というところです。

 この間、平成13年、19年に夫婦で二度の四国八十八か所参り(マイカー)を果しました。物見遊山・信仰半々ですが棺桶に入れる納経帳は揃いました。

                                           以上

私の散歩道にある灌漑用池。秋の紅葉が美しい
我が家(写真中央部の住宅街の一画にある)の周辺
謡いのお弟子さんたちの温習会(おさらい会)で。後列左から2番目が私です。 四国霊場第八番「熊谷寺」本堂前にて妻と

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