下津の万葉歌碑案内(方の万葉歌碑)
方の万葉歌碑
潮(しお)みたば
いかにせむとか わたつみの
神(かみ)が門(と)わたる あま処女(おとめ)ども
巻7 1216 詠人 不詳
所在地 海南市下津町方 粟嶋神社境内
揮毫者 栗栖 安一氏
建立日 昭和46年10月13日
この万葉歌碑は、昭和46年10月にここ粟嶋神社の境内に建立されたもので、万葉歌碑としては古い部類に入る。
歌中の「わたつみ」は海を司る神を意味する。この歌は「海の神をお祀りする粟嶋へ、漁村の若い娘達が干潟を選んで渡ってゆくが、潮が満ちてきたら帰りは一体どうするつもりなのだろうか」と娘達の帰りを案じて詠んだ都人の歌である。
歌碑の裏面には「千古の歴史と地形を想起して、ここ粟嶋に万葉の歌碑を建つ」と刻まれている。大自然の景観も長い年月の間には大きく変貌する。
ここ粟島神社周辺の地形もこの万葉歌が詠まれた頃は現在とは大きく異なり、海は女良古墳や、現在のJR加茂郷駅の近くまで入り込んでおり、方北、方南は一面の干潟であった。
又、この頃の粟嶋神社は現在の「宮の谷」より更に北西の「硯浦(すずりうら)」に建てられていた。「神が門」はその粟嶋へ参るのに、海まり地形的に一番渡りよいところを指し、干潮時にはここは干潟となって歩いて渡ることができたのだろう。
この粟嶋神社は 歴史ある古い神社で、神仏習合という古い神社形態を残している。
維新直後明治新政府が公布した悪法「神仏分離令」によって、全国で寺院や仏教文化が多数破壊、廃棄された。
これが世に言う廃仏稀釈であるが、当神社には現在も鐘楼を備えた神宮寺である「龍泉寺」が存在し、神仏習合の古い神社形態を見ることができる。
これは地元住民が「新政府何するものぞ」とした紀州人の気概を示したものであろう。
紀州語り部 大峯 登
|