今から約40年前、川崎市中原区木月祇園町に建築されていた日網石油精製(入社当時)の独身寮1棟と社宅2棟は周囲を圧倒する4階建て、テニスコート付で群馬の片田舎から上京した私とっては夢の施設だった。その福利厚生施設に約20年お世話になった、まさに第二の故郷である。独身時代に元住吉界隈で「酒の味」を覚え、当時から流行始めたカラオケ(JUKE−BOX)も覚えることとなったが今のレーザーディスクとは雲泥の差があり時代の変化を感じさせる。また、当時はボーリングが流行で交代勤務明けでまず元住吉駅前のボーリング場へ行き予約その後、寮で食事をしてから行くとちょうど順番となる1時間〜1時間30分は当たり前に待たされた時代であった。
当時は高度経済成長の時代で石油業界は大変に恵まれた環境にあった。まさに右肩上がりの象徴の時代であった。独身寮では毎年地域の皆さんを交え納涼盆踊大会が盛大に開催された。それも3日間連続開催という派手なものであった。そこには社員の家族や今井南町の小杉社宅の家族も大勢参加した。
また、冬には恒例のダンスパーティーが開催され自前のバンドに社内外の仲間が集まり賑やかに楽しいひと時を過ごしたが、ダンスの素養のない私はいつも壁際(残念ながら壁の花にはなりきれず)で酒を飲みながら羨ましそうに眺めた若き頃を思い出す。
そんな懐かしの独身寮・社宅も今はその面影はない。10数年前に売却され1棟のマンションが建っている。東横線沿線という住環境に恵まれた地域は今でも東京へ通勤するサラリーマンのベットタウンとして人気を誇っている。特に小杉周辺は160〜200mクラスのマンションが林立しあっという間に約5000世帯(12000人)の人口増といわれている。2年後に横須賀線
武蔵小杉駅
が新設され東京駅
まで20分という通勤時間が人気を誇っている。
先日訪れた元住吉は周辺にマンションができ昔の風景が薄れてしまったが閑静な住宅地として雰囲気は残っており安心した
以上
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