玉門関は雨の後、湿った砂漠の曇り空の下に佇んでいた。昔、大きな河の流れだった低い草木の密集して生えているその向うはオルドスの大平原である。地平線の彼方から匈奴の右賢王の率いる5万の大軍が押し寄せてくる。迎え撃つ漢の驃騎将軍霍去病の軍はわずか5千だ。2000年の時を超えてその情景が脳裏に浮かんでくる。兵馬の息づかいが聞こえてくる。今は白っぽい日干し煉瓦とつき固めた砂漠の土とで築かれた巨大な廃墟が誰もいない荒地の中に残るのみである。
「万里の長城で小便すればゴビの砂漠に虹が立つ」「おいおい老師、そんな所で小便をしていいのかい」などと言いながら皆一斉に放水を始める。「ここにビアホ-ルを開いたら繁盛間違いなしだね」と言うのは酒奉行のホ-タンさんである。と言っても今ここにいるのは我々6人だけだ。「自分の店の酒を自分で飲んでいてどうするんだ」と混ぜっ返すのは大橋さんである。
思えばここまで来る道のりは長かった。2年前から計画を立て始めた。「敦煌の莫高窟に行ってみたい」が到頭「トルファン、ウルムチまで」になってしまった。敦煌に着いてからも予想外のことが待っていた。砂漠で雨に降られた。ここに来る途中でも砂嵐でバスが暫くストップした。敦煌からトルファンまでの鉄道切符は日本を出発する2日前にやっと手に入った。敦煌の中国国際旅行社が1600km離れた西安まで社員を派遣して我々の切符を手に入れてくれた。
以上
|