ご無沙汰しております。
光陰矢の如し、何かと雑事に取り紛れておりますうちに最長老*になってしまいました。然し、生活上の諸事一切は自分で成し、新聞は全面、特に社説、時代を読む記事等は必見し、テレビはプレッシャースタディー等に挑戦して、ボケ防止に努めております。
去る5月末、待望の三曲名流大会に招待され、上野にある東京文化会館へ電車で行きました。流石に伝統の祭典だけに、三曲(琴、三絃、尺八)の合奏は素晴らしく、美しい音色の別世界に浸り、至福の一時を過ごしました。
趣味の琴(生田流免状所持)は生甲斐ですが、老齢と難聴で稽古もままならず、しみじみ老いを痛感しております。
さて、本年7月5日は、東燃創立70周年の日に当たります。昭和14年小倉石油新ビル内会議室で、当時の中原技術部長初め各部課長の方々の懸命な努力により誕生し、躍進しました。人選に優れた小倉社長は石油王でした。
私が小倉石油へ入社した当時、社員は30人ほどでした。私は最年少の和英タイピスト。おさげ髪、紫の袴に靴という学生風のいでたちでした。職場の他の女性の欠勤日には、その代役として電話交換手、受付、お茶出し等、一人三役、四役は当たり前という時代でした。
時代は移り、東燃、東燃化学に勤めさせて頂きましたが、いずれの和英タイプ室も、常に明るく楽しい職場でした。
東燃化学退職後は、板橋区立寿大学(法科)修了、寺修行、地域の老人会(会員120名)の役員等を続け、大変勉強になりました。
徒然なるままに、今のこと、昔の思い出を書いて参りましたが、東燃OB会の皆様のご健勝を心からお祈りして、筆を擱かせて頂きます。
以上
*高橋君さんは明治44年のお生まれで、東燃関東地区OB会の最長老。東燃創立時、小倉石油から転籍された方々の中で、唯一ご存命の方です。(東燃関東地区OB会HP編集委員大橋)
以上
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