夏の高校野球甲子園大会真っ盛り、こんな中、日網石油野球部の活躍を思い出しました。日網石油野球部は、会社設立第一期生として、北は秋田・新潟、南は和歌山・山口県までの広範囲から入社した35年卒を中心として発足しました。
選手には、甲子園出場目前で敗れた猛者、全く無名校で汗だけ流した者等多士済々のメンバーであったが、チーワークの良さで、当時浮島地区で開催された11社大会で何回かの優勝を果たしました。
これらの実績を基に、更なる飛躍を求め練習を重ねた結果、昭和45年・48年の2回、産業別対抗・石油部門の代表として、後楽園球場で試合をする権利を獲得しました。
この頃の試合は殆どが亀戸球場であったため、川崎から重い荷物を持ちながら暑い中、汗だくで電車で通ったのが懐かしく思い出します。
第1回大会は先の35年卒を中心として出場しましたが、この試合では、3塁手の1塁への送球が直接スタンドに入る珍プレイ、相手の打球がまるでピンポン玉のように外野の頭を越すなど、まるで野球にならず、試合開始から終了まで約1時間という短時間で、強豪東芝府中にコールド負けした。
次こそはと、第2回目は新たに加わった46~49年卒を加え再結成、今度こそ1回戦勝利を合言葉に合宿まで行って挑んだが、これも奮戦むなしく敗戦。野球の難しさ、レベルの違いを大きく認識したものでした。
1・2回戦とも早朝の試合でしたが、会社幹部・選手の家族・夜勤明けの社員等多くの応援を得たが、全く声援に答えることが出来ず、無言で会社まで帰ったのを思い出します。
今、行われている高校野球でも1回戦負けで故郷に帰る選手たちの気持ちが良く解ります。初出場 校の多いこの大会、出来ればこれらのチームの活躍を心から応援します。
なお、集合写真の中には、交代勤務中の、大石・猪浦・小沼氏が抜けていますのでご承知下さい。
以上
|