氏 名
大峯  登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成21年10月8日
表 題

 海南の万葉歌碑案内(海南市役所前の万葉歌碑)

本   文 


 海南市役所前の万葉歌碑        

 
  紫之   名高浦乃   名告藻之
         於礒将靡   時待吾乎
           巻7-1396   詠人不詳
 
(読み下し) 紫の 名高(なたか)の浦の なのりその
         磯になびかむ 時待つ我を
 
 所在地  海南市日方   海南市役所前
 揮毫者  犬養 孝 氏 (国文学者)
 建立日  昭和59年3月18日
 
 この万葉歌碑は、海南市役所の前に昭和59年3月に建立されたものである。
 歌の意味は「名高の浦のなのりそ(海藻)が磯になびくように、あなたが私になびいてくれる時を、私はじっと待っているのです」であろう。
 歌中の「名高浦」は、かって海南市名高にあったきれいな砂浜で、万葉の時代は現在JRが走っているあたりが海岸線で、遠浅の海が広がっていた。「紫の」はその名高の浦の枕詞である。又「なのりそ」は海藻の「ホンダワラ」のことである。
 海南市の成り立ちは、昭和9年5月に黒江町、内海町、日方町、大野村が合併して海南市が誕生した。又、昭和30年4月に巽村、亀川村、南野上村、中野上村、北野上村がこれに編入された。そして平成17年4月に下津町と対等合併して現在の海南市となったのである。
 海南市の人口は約6万人で、市の南北に熊野古道が通り、古来より交通の要衝であった。市内には熊野参詣の途上で遥拝や休憩、宿泊等に利用された王子跡が9ヶ所もある。熊野参詣道でこのように短距離間で多数の王子跡が設置されている所は他には無く、特にこの地が参詣にあたって重要な地域であったのであろう。  
 又、万葉歌も数多く詠われており、市内には14基の万葉歌碑が建立されている。
 産業で特記すべきは、日本4大漆器産地(黒江、越前、会津、山中/輪島)に数えられている「黒江漆器」で、黒江の街はのこぎり形に建屋が並ぶ町並みが独特で、しっとりとおちついた雰囲気の中で伝統の漆器を見て回るのも一興である。
                             紀州語り部  大峯 登


                                    以上

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