黒江 黒牛茶屋の万葉歌碑
黒牛方 塩干乃浦乎 紅
玉裙須蘇延 往者誰妻
(読み下し) 黒牛潟(くろうしがた) 潮干(しおひ)の浦を 紅(くれなゐ)の
玉裳(たまも)裾引き 行くは誰(た)が 妻
所在地 海南市黒江 黒牛茶屋駐車場奥
揮毫者 犬養 孝 氏 (国文学者)
建立日 平成6年6月15日
この万葉歌碑は平成6年6月に黒江の「黒牛茶屋」の駐車場奥に建立されたもので、歌碑の右隣りの塀には旧海南市に関係する9首の万葉歌を彫り込んだ石板も嵌め込まれている。
この歌は「黒牛潟」を詠んだ3首の万葉歌の1首である。
ちなみに旧海南市関係の万葉歌はこれらの歌の他に、「名高の浦」を詠んだ歌が4首、「有間の皇子」関係の歌が2首、合計9首の歌が詠まれている。
この歌は、大宝元年(701)に行われた 持統・文武両帝(この時期、持統天皇は皇位を文武天皇に譲位され、太上天皇となられていた)の 紀伊国行幸にお供した人が、詠んだ歌だとされている。
この行幸は持統天皇にとって大宝律令を制定し、孫の文武天皇に譲位した後の行幸であり、旅は一ヶ月にも及ぶ遊宴的な行幸であった。
この歌の意味は「潮の引いた黒牛潟の砂浜を、紅の裳の裾を長く引いて歩いているのは どなたの奥さんでしょう」であろう。
歌中の「玉裳裾引き」は、玉は裳の美称でこの頃は裳の裾を長く引きずるように歩くのが優美とされていた。
歌碑の横にある「黒牛茶屋」は、銘酒「黒牛」を醸造している「名手酒造」が経営する売店で、内部は昔の酒造りに使われていた機材を材料にしたテーブルや椅子、壁板等酒蔵ムードいっぱいの内装である。
中では 左党は「黒牛」等名手酒造が造る酒のきき酒ができるし、甘党はコーヒーや甘酒が飲める。 又、道路を隔てた前隣りの「温故伝承館」には 昔の酒造りの様子がわかる酒造りの資機材等が展示されている。
又、黒江の街名の元になった黒い牛の形をした大岩は、一説にこの名手酒造の裏あたりにあったといわれている。
紀州語り部 大峯 登
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