いにしえに 妹(いも)とわが見し
ぬば玉の 黒牛潟を みればさぶしも
巻9-1798 詠人 柿本人麻呂歌集
所在地 海南市 黒江 中言神社境内
揮毫者 谷口 東峰 (大学教授)
建立日 平成12年 4月 1日
この万葉歌碑は、昭和37年頃から神社拝殿に掲げられている板碑と同じ万葉歌を、平成12年4月に石碑として建立したものである。
大宝元年(701)、持統・文武両帝が紀温湯(現在の白浜温泉)への行幸の途中、ここ黒江に立ち寄られ遊興されたが、柿本人麻呂も妻と共にこの行幸にお供をしていたのであろう。この歌はその後人麻呂がこの黒牛潟を訪れて、その時のことを思い出し、この浜でいっしょに遊んだ今は亡き妻を偲んで詠んだ歌である。
この歌の意味は「その昔、愛する人と共に眺めたこの黒牛潟を、今は一人で眺めているのはむしょうに寂しい」であろう。歌中の「ぬば玉」は黒や夜にかかる枕詞である。
歌碑の建つ「中言神社(なかごとじんじゃ)」の神社名は、「神」と「人」との「中」を取り持つ「言」がその由来であると言われている。境内には歌碑の他に「黒牛の像」と名水「黒牛の水」が湧き出ている。
ここ黒江の名は「紀伊続風土記」に「此地、古は海の入江にて、その干潟の中に牛に似たる黒之石あり。満潮時には隠れ、干潮時には顕わる。因りて黒牛潟と呼ぶ。黒江は黒牛江の略語なり」とある。この黒い牛の形をした岩が現在のどの辺りにあったかについては、「名手酒造」の裏手という説と「紀陽銀行」の南側という説が有力であるが、特定されてはいない。
「黒牛潟 牛は名さえ埋もれて
今は黒江と 呼ばれけるなり」
紀州語り部 大峯 登
以上
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