この歌は神亀元年(724) 聖武天皇が和歌浦・玉津島に行幸された時、従駕した藤原卿が詠んだ歌である。
歌中の「ももしき」は「大宮人」にかかる枕詞である。この歌の意味は「黒牛の海が夕陽で紅色に照り映えている。お供の女官たちが磯遊びをしているらしい」であろう。
この聖武天皇の玉津島行幸は、大宝元年の持統・文武両帝の紀温湯行幸と同じように遊興的で、紀伊国の風光をゆっくりと楽しんだようで旅の悲壮さはみじんもない。この歌の雰囲気から海のない大和国の人々が生まれて初めて見た海に感動し、浜辺で無邪気に磯遊びをしている様子がうかがえる。
この黒江湾(黒牛の海)の埋め立て工事は昭和36年から5年の歳月をかけて実施された。そしてその完成を記念して昭和41年5月に第一工区の日方川沿いに「みなと公園」が造園され、記念塔に海南市の地図とこの万葉歌を鋳込んだ銅版が嵌め込まれた。その後昭和48年に公園には蒸気機関車D51「黒牛号」が展示され、子供たちの人気者となった。ちなみに紀勢線から蒸気機関車の勇姿が消えたのは昭和47年3月であった。その後この「みなと公園」は、日方の市役所周辺にあった海南消防署と海南警察署の移転候補地となったため公園は撤去され、海南消防署は平成11年4月に、又海南警察署は平成12年5月にそれぞれ完成した。そして公園の記念塔に嵌め込まれていた万葉歌の銅版は、消防署の建設に合わせて自然石に嵌め込まれ、消防署横に建立されたのである。又蒸気機関車は岩出市に譲渡されたという。