藤白の み坂を越ゆと 白たへの
わが衣手(ころもで)は 濡れにけるかも
巻9―1675 詠人不詳
所在地 海南市藤白 藤白神社境内 有間皇子神社前
揮毫者 雑賀 紀光 氏(画家 文筆家)
建立日 昭和56年 4月 5日
この歌は大宝元年(701)持統・文武両帝が紀の温湯(白浜温泉)に行幸された時、お供をした人が詠んだ歌とされています。この持統・文武両帝の行幸が行われた時は、斉明4年(658)に起こった有間皇子事件から既に43年が経過し、謀殺された有間皇子を偲び、その死を悼むことが大っぴらにできる世となっていたのであろう。
この歌は「藤白の坂を登ってゆくと、ここで絞殺された有間皇子のことが思い出され、私の白い衣の袖は涙で濡れてしまったよ」と19歳で命を絶たれた有間皇子の悲運と哀しみを思い、同情と追慕の気持で詠んだ歌である。歌碑の奥に祀られている有間皇子神社は、この地で若くして謀殺された有間皇子の霊を慰撫するために、昭和56年4月に建立された神社である。
み坂と詠まれているこの藤白坂は、後鳥羽上皇の熊野参詣にお供をした藤原定家によって「攀じ登った」と表現されているほどの急峻な坂である。この坂を登りきった峠には「御所の芝」と呼ばれる高みがある。この名の起こりは花山法皇や白河上皇、その他多くの上皇、貴族がここからの景色を見るためにここに御座所を設けたことから起こった名前である。この御所の芝からの眺めはすばらしく「熊野路一の美景なり」といわれています。眼下には昔の面影はすでに無くなったが名高の浦、黒牛潟を見ることができ、遠くには名草山、和歌の浦、玉津島、雑賀崎と万葉の故地が一望でき、更にはるか淡路島、四国までも見晴らすことができます。この峠には国の重要文化財の地蔵峰寺が建っており、堂内には同じく重要文化財の石の地蔵坐像が鎮座されています。
以上
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