「医聖」華岡青洲(通称雲平)は、1760(宝暦10)年、現在の和歌山県紀の川市平山に生まれた。
華岡家は古くから医療と農業に従事した家であったが、祖父の時代から医学を専門とするようになり、父も南蛮医学を学んだ。
青洲が生まれた頃、日本の医学では、日本人最初の人体解剖が行われ、実証医学の古医が主流を占めるようになっていた。1782(天明2)年、青洲23歳のとき、京都に出て古医方、オランダ流外科を学んだ。3年後に紀伊に帰り医業に専念、1802(享和2)年、には紀州藩主徳川治宝公に見出され士分となり、藩医の道を歩むようになる。
その間、曼荼羅華(チョウセンアサガオ)を原料とする全身麻酔薬(通仙散)を創製し、1804(文化元)年10月、世界で初めて全身麻酔による乳癌摘出手術に成功した。
手術に使用した器具は、和歌山県立医大に保管されているとのことである。
和歌山県出身の作家、有吉佐和子氏の「華岡青洲の妻」は、妻と母の葛藤を描いて有名である。
居宅兼病院・医学校の「春林軒」は、主屋・南長屋・病室・看護婦寮・米蔵・物置・馬小屋等が配置されている。主屋は、診察・手術室、家族の生活の場、患者の控え室等がある。南長屋は、塾生の部屋、薬調合所が設置されている。その他に建築家黒川紀章氏の曼荼羅華をモチーフにしたミュージアムがある。「これらの室内は撮影禁止」。
青洲生存中、春林軒で学んだ塾生は1000人を超えるという。
以上
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