昭和8年、酉年生まれ、いつの間にか喜寿を迎えキグナス石油OB会でお祝いを頂いたのも皆様方のお陰だと感謝しております。改めて七十七年の歳月を顧みると今日まで生きて多くの方々と知り合う事が出来のも、日本は北海道から沖縄まで、海外も9ヶ国へ行けたのも長生きのお陰です。
我々の昭和一桁の時代は大東亜戦争そして敗戦、戦後の復興と苦難の時代を乗り切って来て今日まで生きて来ました。今の時代は60年前には夢のまた夢で考えられなかったマイカーに乗ってゴルフや海外旅行が出来る時代になりました。着るものも無く、食べるものも無かった昔の事を考えると夢のようです。
振りかえれば、昭和26年東亜燃料清水工場入社、和歌山工場に転勤そして清水工場に戻り、昭和34年には日網石油精製株式会社創立に伴い転出、以降平成5年定年退職まで多くの方々のお世話になり、思い出は数多くありますがやはり日網石油の埋立地からの建設です。当時は現在の東燃川工区域はまだ埋め立て途中で、会社に行く道路も浮島橋は木造の仮設橋で道路は起伏だらけの砂の道路、タクシーはいすゞ自動車の前までしか行ってくれずあとは歩くか鹿島建設のジープに乗せてもらわないと行けませんでした。当社の土壌も水浸しでうっかり歩けば膝まで潜ってしまう状態で、先ず鉱砕を埋めての道路作りでしたがいくら鉱砕を埋めても羊羹のような道路でした。
風が吹くと砂漠の砂あらしのようでゴーグルがないと眼が開けられなかったし前が砂で見えなくて歩けなかった。建設中のタンクが突風でつぶれた事もありました。そんな厳しい中での第一期の建設工事は忘れられない思い出です。
私事ですが2年前に脳梗塞に襲われ入院、嚥下機能障害の後遺症で喋る事と飲み食いが不便になりましたが運良く右手足の機能はリハビリで機能回復したのが幸いで元気に歩いています。
好きな帆船造りは眼が緑内障で悪くなり止め、ゴルフもお休みの状態ですが家内と二人でのんびりとパソコン相手と庭いじりで毎日を過ごしている今日この頃です。
子供達や孫が喜寿の祝いをしてくれたので写真を添付いたします。
以 上
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