氏 名
森 規
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成22年11月01日
表 題
 粉河寺
本   文 

 
 粉河寺は宝亀元年(770年)創建といわれる名刹で、南に竜門山(紀州富士)、紀ノ川を望む西国33ヶ所観音霊場第3番札所として今も参詣者が絶えない。鎌倉時代には伽藍が境内に立ち並び栄えたが、豊臣秀吉の紀州征伐によって殆ど焼失。大門・本堂・念仏堂など現存する諸堂は江戸中期に紀州徳川家などによって再建されたものである。

 ○大門(国重文)は、桁行12.5m、梁間7.5mで、宝永4(1707)年に建てられた三間一戸の楼門で、この門を通り抜けると東西1km・南北約0.7kmの広大な寺域が広がっている。境内には、中門、本堂、千手堂、不動堂、御池坊、童男堂、地蔵堂、六角堂があり、松尾芭蕉の句碑、若山牧水の句碑が立っている。本堂手前の階段の両側には、粉河寺庭園がある。

 ○中門(国重文)は、天保3(1832)年に再建された楼門で1階には四天王が祀られている。門の扁額の「風猛山(かざらしやま)」は、紀州徳川藩10代藩主徳川治宝候の直筆である。

 ○本堂(国重文)は、西国三十三カ所霊場の札所寺院中最大の堂である。童男堂(県文化)は、寺の本尊千手観音が世に出たときの姿である童男大士を祀った堂。

 ○粉河寺庭園(国名勝)は、安土桃山〜江戸時代初期の作庭と考えられている。青石・紫石・竜門石などの紀州の名石を巧みに配した石組をもつ枯山水の名園である。

                                                  以上

参詣道
庭園
粉河寺大門
粉河寺本堂
中門
中門の扁額

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