氏 名
中村 義
 所 属
東燃関東地区OB会
 掲 載 日
平成22年11月24日
表 題

出身校の歴史にびっくり

本   文 


 最近、小学校、中学校、高等学校なども、それぞれホームページ(HP)を持っていることを知った。そこで暇つぶしにHPを検索して並べてみた。

 小学校の歴史が最も古く、創立が1873年(明治6年)で、元町奉行町に広瀬小学ができ、その後、広瀬尋常小学、広瀬国民学校と校名を変えて、現在の広瀬小学校となったらしい。

 私のふるさと紀州の小学校から、母校を並べてみると、
   和歌山市立 広瀬小学校
   国立 和歌山大学教育学部附属中学校
   和歌山県立 星林高等学校
となり、今年で創立以来、中学校は63年目、高校は62年目ということだから、小学校の137年目は、ダントツの歴史である。ちなみに、大学は90年目。

 今更ながら、こんなに古い歴史の小学校で勉強したというに懐かしさ、と同時に改めて、感激、感動している。早速、HPで写真を閲覧したところ、またまた驚いた。
何と、あの「二宮金次郎像」が今でも、校庭の片隅に立派に建っているではないか。ほとんど見かけなくなった“薪を背負い本を読む姿”は、はっきりと記憶の中にある。とてもうれしいことだ。

 今度、帰郷したら一番に城下町に凛と建つ校舎と金次郎に会いに行こう。かれこれ56年ぶりの訪問になる。

 6年生のころ、生徒会長に選ばれたことや最後の運動会の100m走で、初めて一位になったこと、ちょっと得意だった作文のこと、そして和歌山城の風景画が特選になったことなどを、つぎつぎに思い出した。
小学校を卒業してから転居したため、同級生たちとは、その後ほとんど会う機会がなく、もう60年近く、時が過ぎてしまった。

 やはり、ふるさとはいい。縁台将棋、缶けり、かくれんぼ、竹馬、草野球、ガキ大将、などなど、懐かしい。みんなどうしているのかな。一度も同窓会にも顔を出していない。でも広瀬小学校は、しっかりと残っている。だから校庭に足を踏み入れて、もうひとつの記念碑に刻まれた「耐える」の文字も見てみたい。
そうだ、久し振りに来年は必ずふるさと紀州へ行こう。