3月11日15:00より川崎OB会定例役員会を「東日本大震災」に遭遇する中、川崎市内の(注*)「鋼友倶楽部」で開催いたしました。
巨大地震の発生に遭遇といった異常事態の中での会議開催でしたが、緊急事態での対応や日頃からの心構え、携帯必需品等、いろいろ貴重な経験をすることの出来た定例役員会でもありました。
以下に当日の模様をドキュメント風にまとめてみました。
当日、各役員はそれぞれ昼過ぎに自宅を発ち、会議開催場所である川崎区南町の「鋼友倶楽部」に向かい、14;30過ぎには倶楽部に5名が到着、1名は川崎市内を徒歩にて向かっていた。
3月11日
14:46 突然の大地震発生
・ 会議場に到着、待機中(新谷、深沢、今野、小川、川崎)
一階会議場で遭遇、全員窓から裏庭に退避、大型の石灯籠が大きく揺れ目前で倒壊
・ 川崎市内を徒歩にて・・・(竹内)
ビルの谷間を歩行中に遭遇、揺れによりビルの頂部がぶつかり合うゴン・ゴンと言った不気味な音がビルの谷間に響き、電柱は頂部で1mほどの振幅で揺れている中、近くの低層ビル一階の中華料理店に一時避難する。
15:00 会議場に無事全員集合/会議開催
・ 情報の収集
携帯ラジオにて情報収集。
(倶楽部にテレビ無く、深沢氏持参の携帯ラジオが唯一の情報収集手段)
鉄道の全面停止情報から当面の移動手段無しの判断をする。また、携帯電話は繋がらず家族との連絡は不通。
・ 予定の会議を行う。
バタ・バタしても仕方が無い!との判断で予定の役員会開催。
会議中にも余震続発、その都度、庭へ退避、揺れが収まり部屋へ戻る、といった落ち着きの無い会議であったが無事終了。
15:25 家族との安否確認
・ 安否確認第1号
親族(和歌山)からの安否確認電話(携帯電話)有り。・・・県外からの通信(受信)が繋がり易い模様?
17:00 川崎駅入口シャッタ閉止の情報入手
・ 交通手段利用による本日帰宅不可?
徒歩による帰宅案も出たが体力不安から却下、当面は交通情報入手に努める。
・ 仮宿場所の確保
倶楽部での仮宿をお願いし、宿泊用備品は無いが仮眠場所としての利用許可を得る。
・ 倶楽部の耐震評価
建屋の耐震評価を行い、素人判定で(壁のひび割れ無し、柱が多い・・・等)大丈夫?との診断を下す。
・ メールによる安否確認
携帯電話の通信不能が続くも、メールの送受信は比較的繋がり易いことが判明、20時過ぎには、1名を残して家族との安否確認がとれる。
19:30 食料の調達と市内の状況調査
・ コンビニでの調達
携帯ラジオの電池と食料の調達。・・・既にコンビニでは、おにぎり、弁当、携帯用充電池の棚はカラッポ、乾麺類もほとんど在庫無しの状態!
・ 市内の状況
徒歩での帰宅者で大混雑、車は上下線とも大渋滞、緊急車両のサイレンが鳴り響く。
・ 余震発生時の避難場所調査
国道15号線の中央分離帯が緊急の避難場所として最適!
21:30 最後の一人、家族との安否確認がとれる!
・ 送信していたメールに待望の返信あり、これで全員家族との安否確認がとれ一安心!
・ 携帯ラジオから入ってくる被害状況にその都度憂慮、
原子力発電所の異常、千葉製油所火災、東海地震や南海地震への余波、我が家の地震対策や避難場所、等を話題に時を過ごした後、一時の仮眠をとる。
3月12日
07:00 交通情報を入手(携帯ラジオ)
・ 7時過ぎからJR運行予定の情報を入手、帰宅準備にかかる。
倶楽部のご好意で用意してくれた「一椀の蕎麦」をありがたく頂き、帰路についた。
・ 京浜急行電車の運行が眼に入り一安心!(JRは未運行)
駅は既に長蛇の列でホームへの入場制限もされていたが、程なく車中の人となり時間は掛かったものの無事全員帰宅することが出来た。
以上、3月11日川崎OB会役員の一日をドキュメントとして紹介いたしましたが、東燃退社後、初めて味わう緊張の一日でした。
今回の経験で改めて感じたことは情報不足に対する不安感であり、傍らから漏れ聞こえる携帯ラジオの音声に、大いに不安感が取り除かれたのは私だけでは無かったと思います。
是非、外出時の携帯必需品に以下の物を加えて下さい。「備えあれば憂い無し!」です。
① 携帯ラジオと交換用乾電池
② 携帯電話と携帯用充電器
最後に、今回の災害に当たっては「鋼友倶楽部」従業員の皆さんには大変お世話になりました。特に、帰宅もされず、仮眠もとられず、また食事までご用意頂いた支配人には頭の下がる思いをいたしました。役員一同、感謝・感謝…です。
(注*)「鋼友倶楽部」は、以前に利用していた川崎の「砂子会館」の利用不可に伴い1.5年ほど前から当OB会役員会開催場所として利用している、会議室を備えた純和風木造の料亭風家屋である。
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