氏 名
小松 憲一
 所 属
東燃関東地区OB会
 掲 載 日
平成23年03月17日
表 題

 はじめまして

本   文 


 2月に定年退職しました小松憲一です。昭和50年に東亜燃料工業(株)に入社し、6月に本社技術部に配属され竹橋のパレスサイドビルから恵比寿への移転も含め本社勤務でした。2000年のEM合併に伴う東燃ゼネラル石油(株)発足と同時に、川崎工場150号地に置かれたJREO(その後APAEO:Asia Pacific Area Engineering Office)に配属され退職までの最後の10年8ヶ月を過ごしました。

 この間、大先輩で同時にグループの総帥でもあった故大森弘一さんの指導を受けながら非常にチャレンジブルな仕事をする事ができたこと、幸運でした。入社早々、川崎工場400号地タンクヤードの地盤沈下によるタンク本体変形評価法確立、地震時液状化による東京湾への油流出Risk解析と対策立案・実施を、当時MITの土質工学の教授であったT.W. Lambe博士の指導下で約10年の長きに亘り担当することができました。

 地盤沈下によるタンク本体変形評価法は、その語Lambe博士の弟子であるA.Marr博士がASCEに論文を掲載した結果、APIのタンク不等沈下基準として引用されEM基準にもなっています。 

 地震リスク解析は400号地、さらにその後の200号地他タンクヤードの地盤液状化対策工事となって実を結びました。

 その後も、福井・むつ小川原・串木野の石油国家備蓄基地のFSや予備設計、清水工場埋立地へのLNG基地(現SLK)計画、KSS(現川崎工場100号地)のCCR Projectでは設計・施工管理等々、社内外のProjectを一土建技術者として担当することができました。

 2000年6月にJREO発足と同時にCivil EngineerとしてEMRE (ExxonMobil Research & Engineering Co.)の一部に組み込まれて以来、和歌山・堺・川崎・千葉の国内4工場に加え東南アジアとオーストラリアの工場と守備範囲が拡がり、且つ英語というEM内公用語と詳細な仕事のルールに戸惑いながらも、文化の違う国の人とも仕事ができたことは得難い経験でした。

 これまでの36年間の様々な出来事が浮んで来ますが、やはり若い頃に仕事や組合活動で体力にまかせて徹夜したり、失敗して落ち込んだり等々、未熟ながらも一生懸命やっていた頃の自分の姿を懐かく思います。歳ですかね・・・。

                                                以上

昨年2月に道後温泉を訪ねた際に家内と

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