極楽寺は海南市下津町塩津の峠に近い高台に建てられている浄土宗の寺院である。
当寺院の創建は寛永元年(1624)とされ、五摂家のひとつである一条家の祈祷寺である。文化6年(1809)この一条家から納められたという紙水墨書伏見天皇宸翰(しんかん)「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」一帖 は国の重要文化財である。唯識三十頌とは4~5世紀の頃インドの僧「世親(せしん)」が、人間の精神構造を説いた唯識説の根本義を30の偈頌(げじゅ 詩の形で教理を述べたもの)にまとめた論書で、本品は伏見天皇のご宸筆で、全文を天皇が草書体で筆写されている。
当寺院から一望できる塩津港は、近世において紀中北端の集荷港であり、対岸の紀北南端の集荷港 和歌浦との貨客の荷役運送、関東や瀬戸内への貨客の運送、又、五島列島や房総沖等への遠洋漁業の基地として重要な港であり、「塩津千軒、神戸(かんべ)千軒」といわれた程繁栄した港であった。
又、平成22年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」でも演じられた「いろは丸事件」(龍馬達海援隊が乗っていたいろは丸と紀州藩の軍艦明光丸が、瀬戸内海 鞆の浦の沖で衝突し、龍馬のハッタリに紀州藩が賠償金七万両を支払わされた事件) では、紀州藩の明光丸はその停泊港であった塩津港から出港していたのである。しかし現在の塩津港はその1/10が埋め立てられ昔の面影は薄れてはいるが、建屋のたたずまいや神社仏閣 又民俗芸能等がそこかしこに残っており、その繁栄をうかがうことができる。
当寺院にはこの他「薬師三尊」が秘仏として安置されている。この薬師三尊は紀州藩初代藩主頼宣公の念持仏だったもので、お厨司の中に収められ大切にお祀りされている。又、当寺院は江戸時代の浄土宗の念仏行者「徳本上人」とも縁が深く、その六字名号石が境内に建立されている。
過去話題になった推理映画「八ッ墓村」も、この寺の境内とその周辺でロケが行われ、一時期有名になった。
私はこの極楽寺のすぐそばで生まれ、子供の頃はこの寺の境内が遊び場のひとつであったし、寺が開く日曜学校にもよく通った。従って塩津とこの極楽寺には今でも深い愛着がある。
紀州語り部 大峯 登
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