毎年お盆になると、地下備畜出向時にみた鹿児島県薩摩川内市久見崎の踊りを思い出します。
秀吉の時代の朝鮮出兵(慶長の役;1597年)には、薩摩からも一万人以上の兵が川内川河口の久見崎港から出征しました。
戦地に散った夫の供養のため、お盆に慰霊碑の前で静かに物悲しく舞う「想夫恋」。
想夫恋(恋しい夫を想う;そうふれん)という名付けの妙、言葉の響きがなんとも美しい。
帰らぬ人を想う七七七五調の歌と、三味線・太鼓に合わせ、合掌したり、魂を招くしぐさを繰り返しながら、悲哀をこめ、ゆっくりと円を描き踊る姿が痛々しい。
女ひとり身の留守を隠すための、顔を包む黒いずきん、男物の紋付き羽織姿、腰に差した脇差しが悲しい。
これだけの文化財でありながら、観客は、市役所の係員、新聞記者を含めて十数名、プラスほぼ同数のアマチュアカメラマンだけというのは寂しい。
この慰霊碑は九州電力川内原発の北に隣接し、ここから南13Kmの距離に地下備蓄串木野基地がある。
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