1911年4月、所沢に日本で初の飛行場が開設され、今年でちょうど100年になる。市内では「日本の航空発祥100周年所沢」の旗が掲げられイベントや展示が行われている。 そこで航空発祥100年の探索の旅に出てみた。
旧飛行場の跡地は所沢航空記念公園として利用されている。その中で旧所沢飛行場の滑走路を探してその前にたってみた(現在は沈床茶園と表示されているので旧滑走路かどうか分かりにくい)。 うーん、ここが滑走路だったのか、広い、感慨無量。旧滑走路脇に「航空発祥の地」の記念碑がたっている。記念碑右側の案内板には次のように記されている。
「所沢市が日本の航空発祥の地と言われているのは、明治四十四年(一九一一年)、所沢市に日本初の飛行場が開設されたことによります。
明治四十二年(一九〇九年)七月、勅令により臨時軍用気球研究会が開始されました。気球研究会は、設置直後から試験場候補地を検討。栃木県大田原や千葉県下志津なども候補地にあがりましたが、旧所沢町と松井村にまたがる地域に決定されました。気象条件や地形の起伏などが選定の理由であったとされています。開設当初、所沢飛行場の敷地面積は七十六・六ヘクタール。飛行機格納庫、気象観測所、軽油庫、東西方向に幅五十メートル、長さ約四百メートルの滑走路を持つ飛行場でした。この県営所沢航空記念公園は、所沢飛行場の跡地に造られた都市公園です。所沢飛行場での初飛行は明治四十四年(一九一一年)四月五日の早朝に開始されました。まず徳川好敏大尉がアンリ・ファルマンで飛揚し、約一分で着陸。続いて、日野熊蔵大尉がライト機で三分三十秒の飛行時間を記録しました。所沢の住民はもとより、多くの見学者が飛行を一目見ようと近在各地から集まり、訓練日には桟敷が設けられ、飛翔のたびに歓声が上がったといわれています。」と。
航空公園内には、フランスの航空指導団長として来日し「日本の航空の父」といわれているフォール大佐の像や日本における最初の墜落事故の犠牲者の塔など航空に関わる像、塔、石碑などがある。
旧滑走路の北側には航空博物館の所沢航空発祥記念館があり飛行機の飛行原理や航空技術、歴史などを迫力ある多数の実機やシミュレーション・実験装置、映像を通じて楽しみながら理解できるようになっている。 訪問時、ちょうど「はやぶさ」に関する展示がされていて、大型映像館では「はやぶさ」に関する映画も見ることができた。 「はやぶさ」の偉業に脱帽。
所沢航空記念公園の最寄り駅は西武新宿線の航空公園駅で、駅はアンリ・ファルマン機をあしらったものとのこと。 駅前には、日本で製造された最初の量産旅客機YS-11機の大島空路で使われていた実機が展示されている。
感動の一日であった。また来て見たいと思った。
以上
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