海南市の藤白に建立されている藤白神社の創建は、万葉の時代 斉明天皇が紀の湯(現在の白浜温泉)に行幸の折ここに社祠を創建したといわれている。
古くは藤代若一王子とも呼ばれ、熊野九十九王子の中でも特に格式の高い「五体王子」のひとつであった。
上皇や法皇、貴族の熊野御幸の際は必ず当王子で休泊された。そしてその上皇や法皇への催事として神前で白拍子の舞や里神楽、里相撲等、又歌会が催された。それらが現在の「藤白の獅子舞」等に繋がっており、又、御歌塚やその歌碑も存在する。
境内には江戸初期に建造された県指定文化財である本殿の他、子守楠神社、有間皇子神社、観音堂がある。大楠のそばに建てられている子守楠神社は子供の神さま、名付けの神さまであり、神社からは「熊」「楠」「藤」の字をあてた名前が授けられる。南方熊楠も当社から名前を授かったひとりであり、熊楠は当社から熊と楠二文字も授かったと生涯自慢していたという。
有間皇子神社は、謀略によって19歳の若さで藤白坂において命を絶たれた悲運の皇子「有間皇子」を慰撫するために建立された神社で、バレンタインデ ーには神前に密かにチョコレートが供えられているという。
又、観音堂には県指定の文化財である熊野三所権現の本地仏三体、阿弥陀如来坐像(本宮大社本地仏)、千手観音菩薩坐像(那智大社本地仏)、薬師如来坐像(速玉大社本地仏)と藤白王子の本地仏十一面観音菩薩立像が安置されている。特に熊野三所権現の本地仏三体は現在熊野参詣道の道筋に残る唯一の貴重な仏像である。
紀州語り部 大峯 登
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