1993年に27年と数か月務めた東燃を中途退職したあと、北アイルランドへの留学を経て、大学教育に足を踏み入れた。その最後は安芸国広島での8年間だったが、その任期が去る3月末に終了した。大学の経営がどこも厳しい中、定年を3年延長して70歳まで教壇に立たせてもらえたことは幸せなことだった。
広島には単身赴任だったので、県内外を旅行する時間は充分あったはずだが、あまり出歩かなかった。県内の名所といえば、宮島の厳島神社と広島の原爆記念館にそれぞれ二度行ったくらいだ。春休みで帰省したあと大学に戻るとき、妻が3-4日同道し、近隣県の観光地をいくつか訪ねたが、8年間滞在した割には広島県をほとんど知らないといってよかった。
3月末に大学の宿舎を引き払う手伝いに、妻が駆けつけてくれた。せっかくの機会だからと、埼玉に帰る前に4日ばかり寄り道をすることにした。温泉のある瀬戸内海の島と朝鮮通信使の寄港地に寄り、締めくくりに京都の桜を見ることにした。
最初の宿泊地は、温泉とタイやアワビ料理で有名な瀬戸内海の宝石大崎町上島だった。大学から車で30分ほどの安芸津港から船で35分の距離だ。妻と出港を待つ間にふと、本当にふと、3年前まで大学で事務を手伝ってくれていた女性が、この港を経由して通勤していたことを思い出した。携帯電話に彼女の番号が残っているのを確かめ電話した。結婚して故郷のどこかの島に落ち着いているはずの彼女は、電話に出て僕の声を聴くとすぐ、「先生!どうしたのですか?」。これから女房と、大崎上島のきのえ温泉に行くところだと言うと、「えっ?それ、私の島です、旅館は家の近くですよ。ひまだから案内します」。なんという偶然か。
彼女梅田さんは、まず車で島の頂上神峰山まで連れて行ってくれた。見渡す限りの内海に散りばめられた島嶼の景色を全方角から眺めることができて感動した。しばらく島の中腹をクルーズしながら見晴らしのよい路傍に停車したところ、ロマンチックなランチを楽しんでいたらしい若いカップルがびっくりして立ち上がった。「先生!どうしたのですか?」と、青年が叫んだ。なんと、教え子だった。 尾道に住んでいる彼は、ガールフレンドを誘ってこの島まで遊びに来たのだそうだ。僕は、じゃましてごめんと謝った。その後、夏は海水浴で賑あうという海岸の砂浜に立ち、遠く近く暮れなずむ小さな島々を眺めた。梅田さんは、翌日の別れ際に、自分の実家の庭になっている甘夏を3個持ってきて、僕にくれた。島人もみんなこのようにやさしい人たちだろうと思った。掲載したスナップは梅田さんの携帯電話で写したものである。
二日目の夜は、朝鮮通信使の寄港ゆかりの鞆の浦に旅装を解いた。京都の桜だけ一週間早かったが、始めよければ全てよし。天候よし、温泉・魚・酒よしで、いい思い出ばかりが残った。広島よ、ありがとう。
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