昭和36年5月東燃石油化学(株)川崎工場に中途入社として採用され、川崎工場に19年・千鳥工場に9年勤務し平成2年に東燃中原寮管理人として9年間お世話になりました。
10月13日川崎日航ホテルのOB会総会に於いて、皆様方より喜寿のお祝いを頂きまして有難うございました。
入社時は建設中で見渡す限りの砂漠でした。あの広い敷地には倉庫が有るのみ、倉庫は事務所として使用されておりました。保安係は小さなプレハブで24時間勤務食堂無く、毎日昼、夜は日網石油の食堂より弁当の配達でした。
工務課(保全課)の人達は突貫工事のため、徹夜が続いた様です。
保安の仕事は日中は1時間に1回のマイクロバスで川崎駅までの定期便がおもな仕事で夜はフェンスも無い広い敷地を巡回これが又大変、仮設道路以外に入ると膝までもぬかり、二輪車がぬかるみに入ると身動き出来ませんでした。
一番の思い出は何と言っても、スチームクラッカー装置のタワーを千代田化工から工場までの搬入です。日本通運と山九運輸が担当でしたが、トレーラーと云っても今の様な物でなく、前、後に二つのタイヤ二本の台の上にタワーを乗せての輸送も左右のカーブは手動の運転でした。これもタワーが大きく、臨港警察・東京電力の立合いで電話線や電線の切断即復旧のため、真夜中から7時間でようやく工場に到着、このような思い出が頭の中を駆け巡りますが只懐かしく思います。
終わりに皆様方のご健康をお祈り申し上げます。
/以上
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