ジェットルーブは東燃設立の経緯にもとずいて航空機関係の燃料と潤滑油は当社が供給するという社長の一貫したポリシーにより東燃中研で開発し、1970年から清水工場で生産スタートして納入先で7年間使われました。
当時は文献もろくにない時代で合成潤滑油とは聞いたこともないという社内の空気の中で、設立されたばかりの中研で悪戦苦闘して研究しました。所員達が皆帰宅して暗くなった建物の中で、我々のグループだけがいつも夜遅くまで頑張った事を思い出します。
最初はジエステルを基油にした候補油を作りアメリカの研究所でテストをしてもらいました。品質管理部の担当者(後の中研所長)と出張しましたが、完敗の報に接し、蒼くなって帰国しました。それから油の組成を全面的に見直し、ポリオールエステルを基油とし、不純物の影響と添加剤の組み合わせを配慮して第2の候補油組成を決定しました。その間アメリカの油を分析したり、ラボテストをした結果、それらを凌駕するものだと確信を得ました。
2度目は品質管理部長(後の中研所長)とアメリカに渡りMIL規格に合格との報に接し、感激この上もありませんでした。品質管理部長から早速当時の社長に国際電話して報告することができ、肩の荷を下ろした思いでした。次いで国内機関でもエンジンテストが行われ、これもそれまで使っていたアメリカの油より優れた結果を得て無事納入先への採用が決まりました。
実生産に当たっては基油エステル2種類を製造委託先の京都工場で生産して貰いました。清水工場とは基油や添加剤の受け入れ規格を厳密に決め、ブレンドタンクもステンレス製にし、缶詰めはクリーンルームで行うなど万が一にも疎漏がないようにと密接な連携をとりながら前準備を進めました。東燃でのそれまでの潤滑油大量生産とはまるで異なる精緻な作業なので工場の方々のミスしてはならないという必死な思いがこちらに伝わって来て力を鼓舞されました。
実際に飛行使用を開始した当初はひやひやして電話がかかる度に何かなかったかと懸念する毎日でした。それでも事なく過ぎ、もう問題ないと安心した頃のことでした。夜ベッドに入ろうかと思っていた時品質管理部の担当者から電話があり、納入先からすぐ来いとの事です。油の缶の底に米粒より小さいゴミが見えるので、その原因が解明されなければ納入先の飛行機は全機飛行停止との事。早速品質管理部の担当者と現場にかけつけ徹夜で作業した結果、開缶時に缶の蓋に塗ってある封止用のゴムの切屑と判明しました。これは機体に注油する際に濾過網を通せば問題ないとの結論に達し胸をなで下しました。
開発から実生産そして実用化と山超え谷を渡りの連続でしたが何とか実用に耐えることが出来たのは振り返っても望外の喜びです。その間、開発に携わった仲間達、会社と研究所の上層部、本社および工場の方々、製造委託先の方々には本当にお世話を頂き感謝の気持で一杯です。なお、この技術は特に自動車会社向けのレーシングカー油、スーパーチャージャー油の開発に生かされました。
合成潤滑油はその後ジェットエンジン油だけでなく車のエンジン油をはじめトラクション油、冷凍機油等現代生活に欠かせない存在になっております。その草分けの時代に開発に携わることができたのは誠に幸いでした。今年はOB会で喜寿を祝って頂き東燃で研究を続けられた事を心から有難く思っております。
写真コメント
潤滑油開発グループの仲間達と最近撮影。向かって右から2番目が私です。
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