短歌便り-23(母)
子らの語るひもじき戦後の想い出を頷きつつ聴く母の目優し
子ら集う談笑のなか黙然と母は憶うや過ぎし一生を
夫と子の生活のために捧げたる一生を母はよしと思うや
病む母の手の冷たきに思い出ず手つなぎ歩みし幼き日々を
甘えつつ母の袂に顔を入れ共に歩みしこともありしに
子ら抱え男子のごとく生きて来し母の孤独を今にして知る
心経を誦さむと母の枕辺に座せども嗚咽の襲いくるのみ
誇り高く一生を生きし母なりき暁闇に高々と鼻聳えおり
終戦後の生活は厳しかった。自宅も医院も戦火に焼かれ、父はその心労と過労で結核に倒れ、数年の療養の後他界した。生活の全ては母の肩に掛った。
幸い、医師であった母は市立病院に職を得て、日々の生活を支えてくれた。それでも、病夫と三人の子供を抱えての生活は苦しかった。預金は全額封鎖され、急激なインフレでほぼ無一文になってしまった。我々の親の世代は、現在の東日本大震災の被災者の方々と同様に、悲惨苦難の時を歯を喰いしばって生き抜いてきたのだ。
母は苦しい生活の中でも本代などの子供たちの教育費には寛容であった。辞書や参考書などは上京して神田の古本街で購入した。相当な出費で、当時としてはかなりの贅沢であったが文句一つ言わなかった。無事学業を終え、現在人並みの生活を送らせてもらっているのは全く母のお陰である。
母は退職後、甲府で長姉と平穏な老後を過ごし、93歳で他界した。その間、子供たちが集い、昔話で談笑するのを何よりの楽しみにしていた。もっと頻々と母を訪ね、顔を見せてやればよかったと後悔している。
/以上
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