明秀上人廟所「竹園社」は海南市下津町曾眼田の光雲寺境内にある。
明秀上人は兵庫生まれの西山浄土宗の僧侶で、永享年間(1429~1441)に紀州に入り和歌山市梶取に総持寺を創建した。その後紀北の海岸一帯を西山浄土宗に教化し、更に紀州全土を巡ってその普及を行った。明秀上人によって西山浄土宗に教化された寺院は150ヶ寺にも及ぶといわれている。このように明秀上人は多数の民衆を西山浄土宗に導いた名僧である。
上人は文明12年(1480)に当竹園社を閑居と定め、この竹園社で晩年を過ごされたが、多くの学僧が浄土宗の教義を究めんとして上人の許に集まったと伝えられている。竹園社の名は上人が竹林精舎(中インド マダカ国にあったという仏教最初の僧院)の意味をこめて名付けたものと思われる。
明秀上人は文明17年(1485)この寺に逆修墳墓(ぎゃくしゅふんぼ-生存中に仏事を修して自分の墓を設けること)を造り、二年後の長享元年(1487)に遷化された。
この廟所の構造は石造りの横穴式で、大木の鹿子木(かごのき)の根元に板状の花崗岩を巧みに組み合わせて箱型の石廟を造り、古墳の石室のように羨道と玄室に分け入口は唐門風に造っている。又、上部屋根には簡略化した鬼板を設け巴紋の装飾を付けている。妻戸は柄を造り左右に開閉できる。このように規模は小さいながら精巧に造られた石造り廟所で、県の文化財に指定されている。
紀州語り部 大峯 登
|