氏 名
豊田 乾
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成24年02月05日
表 題

 短歌便り-24 (海外旅行-3)

本   文 


 短歌便り-24(海外旅行-3)

 惜しげなく乳房あらわに陽を浴びる乙女ら(まぶ)しニースの浜辺

 水浴びる娘らの(はだえ)(つや)めきて波は戯れ泡立ち消ゆる(南仏ニース)

 浜辺にて幼子のごとく石を拾うニースの海は光耀(かがよ)

 眼下にはロシアの緑野広がりぬ奈翁の立ちし丘に登り來(モスクワ)

 この丘にロシアの大地眺めたる奈翁は(おそ)る雪の退路を(奈翁:ナポレオン)

 瑯(ろう)たけし陶人形一つ買い求むリージェント街を巡りめぐりて(ロンドン)

 薔薇色に一瞬雲の輝きぬスマトラの果ての(うみ)の夕映え(トバ湖)

 海峡の彼方の白き山並みはアフリカの陽に赤く輝く(スペイン)

 渦巻きて幾千の鳥舞い狂う闇に浮かびしモスクの塔に(イスタンブール)

 麦畑は海原のごとく波打ちてラインの風は吹き渉りゆく(ドイツ)

 免税店の賑わい避けて路地裏の古き昔の石畳踏む(ローテンブルグ)

 ローマに始まりニースで終わった北イタリアとモナコを含む南仏紺碧海岸の二週間の旅は、貧乏サラリーマンの我々には生涯で一番贅沢な旅であった。

 スカラ座のオペラ、モナコのグレースケリー薔薇園、エズの最高級ディナーと夜景、マルセーユのブイヤベース、アビニヨォンの祭り、etc.全てが夢のように懐かしい。旅詠が少ないので、今後、少しずつ詠み足してゆきます。

 ナポレオンもヒットラーも立ち、ロシアの大地を眺めたと言うモスクワの丘に登った。両者の敗戦のきっかけとなった露都占領後どのような思いでこの丘に登り、戦争の将来を思案したのであろうか。感無量であった。

 旅の歌は短歌を始めたばかりのものばかりなので、稚拙、平凡な歌ばかりだが、「短歌便り」の歌の在庫も少なくなったので披露させていただきます。

以上