もの言わず眼差し交わし手を握る生命の温み互に伝う
死の床に伏す弟はふるさとの想い出話しに笑みを浮かべぬ
慰めのことばにかえて幼き日共に魚釣りししこと語る
告知受け疾く逝きたしと願うれど妻は許さずと苦笑いする
死を待てる弟の顔は明るみて春の夕陽の僅かに入りぬ
今生の別れを告げる弟は笑みつつ手挙げ吾を見つめる
弟の花に埋もれしその顔は父に似たるとしみじみ思う
弟の白き額に手を触れぬその冷たきに死を確認す
弟はよくおねしょする児なりしと子らに語れば声あげ笑う
献体の車に納めし亡きがらはすでに物体氷雨降る夕
春浅くまだ寒い日に弟は逝った。享年77歳、末期の肺がんであった。
死の三日前、知らせを受けて、緩和病棟に赴く。奇跡的に麻酔剤による昏睡より覚醒し、酸素マスクを自ら外し、少々の会話を交わした。
告知を受けた弟に「がんばれ」と励ますことも、「大丈夫」と慰めることもできず、ただ、手を握り合い、幼い頃から今にいたる交流の楽しい想い出話しをした。小学校の夏休みに山中湖で朝夕魚釣りをしたこと、急性盲腸炎の弟を自転車の荷台に乗せ病院に急いだことなど色々話した。その都度、弟はうなずきほほ笑みを返してくれた。
母親は遺書により遺体の献体をしたが、弟も母にならい遺体の献体をした。
弟の死により、遅かれ早かれ訪れる自らの死を一層自覚し、老妻をはじめ近くの人々により優しくし、一日一日をより大切に生きようと思った。
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