全東燃OB会の皆様、お久し振りです。約2年前に「25年振りの上海旅行」と題した投稿をさせていただいて以来のことです。現在は、新潟県長岡市で社会保険労務士事務所を開業(年金問題を専門とし年金事務所や郵便局等で年金相談指導に従事)しているため、OB会総会等には参加できず申し訳ありません。今回はその罪滅ぼしに、今年のお正月1週間を家内と共に過ごした「ハワイ還暦祝旅行」を披露させていただきます。
私、今年は年男で還暦を迎えました。昨年夏に次女がハワイに旅行してその土産話を聞いたのをきっかけに、家内とも相談し「ハワイ還暦祝旅行」(第二の新婚旅行)を計画しました。私の故郷・長岡市がホノルル市と姉妹都市となり、夏の長岡花火大会にはホノルル市長が来訪したり、逆に長岡市長が訪問しワイキキビーチで長岡花火を打ち上げたりと、両市の友好交流が進んでいたのも大きな理由(もちろん円高メリットも)です。
長岡の正月は厳寒期ですが、ハワイは冬でも初夏さながらの海水浴シーズンで、両極端の気候の狭間で私達夫婦の服装には苦労(冬と夏の装備両方が必要)しました。ハワイでの観光は、地元の旅行社がガイド付きで親切丁寧に案内してくれましたので、私の英会話の実力(?)と相俟って(日本語が第二母国語化の状況)、家内ともども快適な旅行を満喫しました。一般的なオアフ島の観光名所(ホノルル市内、ワイキキビーチほか)やポリネシアンショウ、ディナークルーズ等は各種マスコミにて紹介されているため、割愛します。
ハワイで特記すべきは、やはり「真珠湾(パールハーバー)」です。私にとっては、特に思い入れの強い場所で、故郷・長岡の先人「山本五十六」(長岡高校の先輩でもあり、旧日本海軍の連合艦隊司令長官、後に元帥)が太平洋戦争開戦となったあの真珠湾攻撃を指揮した場所なのです。現在は当時の資料や遺品を保存する記念公園として米軍基地に隣接し管理されています。昨年封切られた映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」や米国映画「パールハーバー」をご覧になった方も多いと思います。もともと敵同士の長岡市とホノルル市が、真珠湾攻撃や山本五十六を結び目として姉妹都市になるとは、歴史の変遷を思い知らされます。戦後に、日米決戦断固反対と立場を貫いた山本五十六の真実が明らかになると、米国側の好意にて、真珠湾記念館の中に山本五十六の肖像写真入りで紹介パネルが設置されました。私は、そのパネルの前にたたずみ立ち去ることができず、黙祷しながら当時の状況に思いを馳せました。
以上
|