1.古き良き時代
小生は昭和25年10月中途採用で東亜燃料工業に入社し、昭和34年3月ゼネラル石油に転出するまで8年半(会計部に6年半、合理化推進事務局に2年)の間、清水工場に勤務した。
当時は戦後復興から高度成長への過渡期で、仕事は厳しく忙しかったけれども、若い元気な仲間で力を合わせてよく働きよく遊んだ楽しい日々であった。それから50余年の長い歳月が流れたが、古き良き時代だった当時が懐かしく思い出される。
世の中は大きく変わり、現在のIT化時代に比べれば、昔のソロバン、タイガー計算機を駆使して頑張った時代が遥か遠い夢のようである。
以下、おぼろげな懐かしい記憶や当時のモノクロ写真を見ながら印象に残った事柄を思い出すままに書いてみた。
2.入社早々、残業が始まる〈旧⇒新への転換期〉
初出勤日、簡単な入社の挨拶の後、上司の野村さんから“頭はどうでもよいが、体の方は丈夫か?”と聞かれ、“今日は初日であるから定時に退社してもよいが、明日から残業が続くのでその積もりで頑張るように”と訓示された。その通り翌日から居残りが始まり、そのうち夜食のかつ丼を注文して、皆で雑談しながら食べるのが一つの楽しみになった。
昭和24年にSVOCとの資本提携により、会計制度もアメリカ式に切り替えが進められている時で、25年工場の操業再開に伴い日常業務が輻輳していたのである。英文の勘定科目、部門、費目表や会計用語が目新しい感じがした。
3.金子課長の“アプレゲ-ル!”の一喝
入社後間もない或る日、終業時間の少し前に2,3人の者が席を立ちかけた瞬間、金子課長の“アプレゲール!”の一喝が事務所内に響き渡った。アプレゲールとはフランス語で戦後の無責任、無軌道な若者たちを諭す言葉として当時よく使われた。つまり、“まだ就業時間内であるのに仕事から離れるとは何事か!”の意味の一喝で皆身がすくんでしまった。昔堅気の頑固おやじの面目躍如の一幕であった。
注)会計の職制は昭和27年から課⇒部に変更
4.古い木造の「本事務所」
本事務所は木造2階建てで、現在のような冷暖房設備はなく、冬は部屋の隅に石炭ストーブが置いてあり暖かいのは一部だけ、夏は窓からの自然の風、扇風機、団扇などで過ごしたが、吹き込んでくる強い風に飛ばされる書類を追っかけて右往左往したこともある。
本事務所には工場長室と事務部門(会計・総務・勤労…)が入っていた。
やがて事務所も老朽化したため、事務所は研究所の建物内へ移転した。
5.ジャンパーでの自転車通勤〈背広を着るのは年に数回〉
通勤距離が短いので大部分の人が自転車で通い、朝のラッシュには並んで仲間と競争したりした。服装はジャンパーなどの軽装で、背広を着るのは冠婚葬祭や出張の時ぐらいで年に数回しかなかった。
以上