氏 名
滝 侑司
 所 属
東燃化学OB会
 掲 載 日
平成25年07月01日
表 題

 ごぶさたしています~お楽しみ講座の講師・ボランティアガイドを楽しんでいます~

本   文 


 私は東燃化学を退職後、地元関西に戻り損保対物損害調査会社を経営するかたわら奈良学を研鑚して歴史テーマの講演活動、歩こう会のボランティア等の地域に根ざした活動を楽しんでいます。

 4月に行った講演の内容を少し紹介します。

4月14日に地域のみなさんで勉強・お楽しみ講座は“幕末の大和に散った明治維新のさきがけ天誅組の変”をテーマ幕末の青年像と悲劇の物語を講演しました。天誅組については余り資料が残っていませんが小生の研究範囲から説明しますと

 1859年井伊大老による安政の大獄後、尊王攘夷運動の倒幕運動に広がり王政復古によって新しい世を夢みて幕藩制度の過酷な支配を打ち破ろうと天誅組が立ち上がったのです。1862年には中山忠光卿(21歳)を主将に約40名が結集しました。1863年孝明天皇の攘夷祈願のため大和行幸の先鋒隊として天誅組の一軍が密かに京都を出発し海路で堺へそして富田林にて河内天誅組と合流し軍勢が一段と大きく約80名となったのです。大和五条代官所を襲撃し領地を天領直轄として「五条御政府」を標榜しました。

 しかし 8月18日に京都で大政変が起こったのです。会津・薩摩藩の公武合体派による政変です。長州藩の追放、天皇の大和行幸の中止となりましたが天誅組は当初の目的を貫き通すことを決め幕府に対し逆賊となって各藩の追討軍に次第に追い込まれました。十津川勢の離脱、河内天誅組の別行動から大きな悲劇となり中山卿本体は吉野の山中を逃げ脱出をはかりましたが9月28日東吉野村で事実上の壊滅終焉となったのです。彼らの精神と行動が5年後の明治維新につながり実を結びました。今年は“天誅組の変”から150年、日本で初めて思想を持って権力に刃向かい壊滅はしましたが青年群で頼みとする朝廷に裏切られ逆賊として戦った青年たちの純粋な心はいかばかりか・・・・・・・・・・講師をしながら考えさせられました。

 又、4月7日には“古代ロマン桜並木の飛鳥川と戦国時代の自治要塞都市・橿原今井町へ”をテーマに歩こう会ガイドを務めました。今井町は古代からの交通の要衝で石山本願寺の寺内町として栄え「大和の金は今井で7分」と云われた程です。織田信長と覇権を戦った歴史があり自治を守り通した町です。3m程の道路の両側に江戸時代の商家がびっしりと並んでいます。富裕な一大商業拠点で環濠をめぐらした要塞都市の歴史と住民の団結力を参加者に説明し共に楽しみました。

 今まで実施した講座は和歌山広村「稲村の火」を小学生5・6年生に、歴史講座は「先人の歩んだ大和への道」「巨石信仰」「平城京の74年」があります。私は他に自治会活動、少年ラクビーの指導のほか俳句を始め一日一句以上に努力しています。7月には1000句に到達が目標です。

 失礼しました。皆様お元気で。尚、天誅組に興味ある方は詳しく調べた資料がありますので私まで連絡ください。

  添付写真
   1 天誅組講演会の準備 一コマ
   2 天誅組が襲撃した五条代官所跡 説明案内
   3 稲村の火 小学5年生にお話中
   4 八重桜の咲く 奈良興福寺 五重の塔 
   5 平城京跡 朱雀門

                                     以上  

       
 
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