慈尊院(高野山真言宗)住職によると816年弘法大師が高野山開創のおり、高野山参詣の要所九度山町字慈尊院に、表玄関として伽藍を草創し、高野山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所及び冬季の避寒修行の場所とされたそうです。
高野山ではこの寺を外院又は下院と呼び、一般には山上の仏と信者とを結ぶ登山口にあたるので結縁寺とも言い、あるいは女人の高野とも呼んでいたとの事です。
834年大師の母親が、我が子を慕って讃岐国からこの地を訪れたが、女人禁制で高野山に入山を許されず、慈尊院に住み翌年逝去されました。
大師は母親のため弥勒堂(御廟、現国の重文)を草創し、秘仏木造弥勒菩薩像(現国宝)を安置されました。弥勒堂は高野山開創1200年となる、平成26年4月2日~5月21日の50日間御開帳される予定です。
本尊弥勒菩薩は安産、子援け、授乳、育児に霊験が有り、以後女人高野として女性の信仰を集め、御堂の前には布製の乳型(おっぱい絵馬)やお札が奉納されています。
また境内西側には、慈尊院から大門への表参道20kmに、石造り五輪塔形の町石が一町(109m)毎に建てられた、高野山町石道(ちょういしみち)起点の180町石が建っています。
慈尊院は有吉佐和子の小説「紀ノ川」にも、安産祈願の寺として描かれており、平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。
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