氏 名
中沢 利郎
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成26年02月01日
表 題

江の島歴史散歩

本   文 

 江の島の縁起では、五つの頭を持つ竜が鎌倉の沼に住み付近の村人を苦しめていたが、ある時大地震が起こり、天からは天女、海中からは島が出現し、こともあろうに、竜がその天女に恋をしてしまったものの、天女は竜の悪行を理由に求婚を断ったところ、竜はすっかり改心しておとなしくなり、この天女は「弁財天」として江の島明神になったということです。その後、源頼朝が戦勝を祈願し、この弁財天を勧請した、と言われています。

 小田急線片瀬江ノ島駅から「江の島弁天橋」へ向かう途中、地下道のタイルに北斎の「富嶽三十六景・相州江の島」が描かれています(写真①)。この絵からは、現在と違って当時、島とは砂洲でつながっていたこと、また島内に三重の塔が建っていたことが分ります。

 弁天橋を渡り、仲見世通りを過ぎて階段を上れば、そこに「辺津宮(へつのみや)」(下之宮)(写真②)があります。江島神社は、宗像三女神を祀る「辺津宮」<タギツヒメノミコト>「中津宮(なかつのみや)」<イチキシマヒメノミコト>「奥津宮(おくつのみや)」<タギリヒメノミコト>から成っています。総てをお参りするにはかなりの健脚が必要ですが、「江の島エスカー」という「動く歩道」が設置されていますので、ご心配なく。但し、有料です。

 辺津宮の隣に建っていますのが「奉安殿」(写真③)、ここに名高い「弁天様」が祀られています。弁財天は2体、「八臂(はっぴ)弁財天」と「妙音弁財天」(裸弁財天)です。前者は、インドの面影を強く残した戦勝祈願(頼朝が勧請)の像(県の重要文化財)、後者は、女身で芸能・音曲上達祈願の像、と異なる信仰の対象となっています。「知らざあ言って聞かせやしょう」の歌舞伎「弁天小僧菊之助」は「裸弁天」からとった「二つ名」でしょう。

 さらに坂を上り、江の島の頂上付近に「中津宮」(上之宮)があり、その参道には、二百年余前に江戸三座が寄進した石燈籠が立っています(写真④)。宮前の中津宮広場で一息入れれば、展望台からの相模湾の眺望の素晴らしさに、疲れも忘れてしまいます。

 ここから暫くは下りとなり、江の島の最深部にある「奥津宮」(岩屋本宮)に着きます(写真⑤)。拝殿の天井に描かれている、酒井抱一作「八方睨みの亀」は一見の価値有りです。 裏手の急な石段を下れば、そこが「稚児ヶ淵」、さらに磯伝いに行くと「岩屋」に到着します。役小角、空海、日蓮らが修行したと伝えられる洞窟です。帰りの上りに自信のある方は、ぜひお参りされると良いと思いますが、「江の島エスカー」はありませんので、念の為。

 この他にも、ご紹介できなかった観光スポットは沢山あります。また、「しらす丼」をはじめ、江の島はグルメの島でもあり、休日ともなれば相当の混雑を覚悟しなければなりません。機会がありましたら、「江の島グルメ散歩」にもチャレンジしてみたいと思います。

 写真⑥は、七里ヶ浜から望んだ、朝日に染まる「江の島と富士山」の光景です。手前のゴマ粒のようなのはサーファーで、寒いのにご苦労様、という他はありません。

   写真① 絵タイル:葛飾北斎「富嶽三十六景・相州江の島」
   写真② 辺津宮(下之宮)
   写真③ 奉安殿(2体の弁財天が祀られる)
   写真④ 中津宮(上之宮)
   写真⑤ 奥津宮(岩屋本宮)色)
   写真⑥ 早朝の江の島と富士山

以上 

       
 
写真①
 
写真②
 
写真③
 
             
       
 
写真④
 
写真⑤
 
写真⑥
 
             
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