昭和14年(1939年)7月5日に創設された東燃は、本年2014年に創立75周年を迎える。しかしながら、現在の東燃ゼネラル石油は2000年の合併時、節税対策のためゼネラル石油を存続会社としたため、同社の設立は1947年7月26日となっている。このため残念ながら会社においては東燃75周年の行事の予定はない。
東燃OB会では、東燃の素晴らしいDNAを引き継ぎ75年の歴史の様々の局面で関与してきたOB会員向けに、テーマ投稿「東燃創立75周年に寄せて」を設定し投稿を募っている。本テーマ投稿を提唱した者として先陣を切るのがつとめであろうと考え、「思い出に残るプロジェクト3題」の副題で投稿を寄せ、東燃の75周年をともに祝いたい。
東燃は若い連中にも自由に大きなプロジェクトを任せてくれる伝統があった。入社早々の小生に任された大きなプロジェクトは大量採用が始まった昭和45年、46年新卒者の新入社員教育であった。100人もの新人を収容する教室を急遽、製蝋2階に作り、主として西日本地区の高校から採用した100前後の新入社員を対象に3月中旬から4月1日まで昼は導入訓練、夜は何班かに分かれて柔道場での合宿が行われた。この間小生はまさに昼と夜の24時間勤務状況で身体がへとへとになった。4月に入ると女子社員の導入訓練、その後、大卒社員の工場訓練が続いた。今となっては楽しい思い出である。
第2の大プロジェクトは昭和54年企画部時代に担当した国家備蓄第1号のむつ小川原石油備蓄プロジェクトである。オイルショック後、「油断」に備え民間に備蓄を義務付けると同時に国においても合計3000万KLの国家備蓄を計画し、石油公団はその第1号のむつ小川原石油備蓄(MOOS)に東燃が中核会社となるとともに人材の投入と出資を求めてきた。南部社長の英断により参画を決定、小生も石油公団に出向しMOOSの基本計画、資金計画、人材計画等々を練り上げ、昭和54年12月末にMOOSは発足した。その後、多くの人がMOOS勤務を経験されたことは周知のとおりである。
思い出に残る第3のプロジェクトは昭和59年の広報室の立ち上げである。石油危機後、石油会社全体に広報活動が重視されるようになってきた中で、当時の中原副社長の肝いりにより当社も積極的な広報活動を行うべく広報室が新設され、宮井、中垣、石田、北川、松澤の5名でスタートした。記者クラブへ出入りしての積極的なパブリシティーと情報提供、企業イメージの向上のための諸方策、社内報の刷新などを行った。慣れない仕事ながら手探りで局面を打開していったことは懐かしい思い出である。
以上