和歌山OB会事務局の髙石さんから「林堂さんが本を作られたらしい、一度訪ねて欲しい」とメールが届いた。二年前、ご本人が野球の審判経験に関して投稿されていることもあり、懐かしい思いでお住まいを訪ねた。
氏は昭和24年入社、FCCでの勤務が長く、最終職場は技術部で、一万ページに及ぶ運転マニュアルと標準運転管理基準をワープロに入力する仕事を終え、昭和63年に退職された。この間、東燃野球部で選手として活躍、昭和41年(1966)37歳で審判員に転向。退職後も平成16年(2004)75歳まで、39年の長きに亘って審判員を続けられた。
「これや」とお話を伺う途中で、何気なく本を出してくれた。表紙を開いて一瞬息を呑んだ。A5判・105ページの本には、39年間に審判員として係った2,847試合分のデータが克明に記録されていた。試合の日付・場所・チーム名・スコアー・審判員等に加え、ご自身の審判哲学や印象に残る試合、家族の支え、仕事の経歴なども記されており、正に自分史とも、39年間の審判記録を集大成したデータブックとも言える本であった。
5冊だけ製本されていて、本のタイトルは「野球審判員 39年」。もちろん販売目的の本ではない。娘さんのご主人が製本に協力してくれたとのことです。氏は現在85歳、「好きだからできただけのこと」「これからセンバツとプロ野球が始まるのが楽しみや」と笑っておられた。スナップ写真を撮るとき「審判員用と違うけど、これをかぶるか」といって、傍にあったキャップを付けてくれた。
「お元気で」と挨拶して帰りがけ「これ持って行ってくれ」と一冊贈っていただいた。
3月7日、和歌山OB会の役員会が開催された時、この本を紹介したが各人感嘆の声。懐かしく、思い出深く読ませていただいた。
写真1 キャップをつけた林堂さん
写真2 製本になった「野球審判員 39年」
写真3 本の最初のページの表、累計2,847試合を示す
写真4 文書のはじまりのページ
写真5 平成2年度(審判回数116回)のデータの一部
写真6 「印象に残る試合」の一部
以上