私は昭和36年入社し、清水工場を振り出しに、3工場、本社、キグナス、むつ小川原で働き、和歌山工場は出入り3回18年間、むつ小川原は建設、基地管理と2回勤務し、10年間単身赴任も経験しました。
入社時は高度経済成長期であり、国の産業政策にも助けられ、事業が拡大する大変幸せな時代でした。しかし40年代に入ると公害問題が大きな社会問題として浮上し、私たちの工場もさまざまな対応を迫られました。特に、みかん山等が近接する和歌山工場では、周辺地域に被害が及ばないよう、考えられるあらゆる対策を実施しました。
また少し遅れて、幾つものコンビナート工場での事故が連続して新聞の1面を飾るようになり、大規模化学、石油工場の安全神話が崩れ出しました。このため保安に関する法規が強化され。工場側は設備面、体制面で強化する必要が出てきました。
また第一次オイルショックにより工場の拡張建設などが中断をするという事も経験しました。
公害、安全強化など予想できなかった事柄に遭遇しましたが、高度成長期に幾つものプラント建設に参加出来、安定した会社経営の中で、尊敬できる多くの先輩、同僚、後輩の皆さんに支えられて、幸せな時代を過ごす事が出来たと思っています。
お世話になった皆さんに深く感謝をしております。
設備過剰、市場の縮小、競争激化など会社は現在厳しい環境下にあると想像しますが、東燃ゼネラル石油が安定した経営を続けられる事とOB会の皆さんのご多幸を祈っております。
以上