「正忍記(しょうにんき)」、日本三大忍術伝書(注1)の一つである。今年3月和歌山城の南600m、寺町通りにある曹洞宗恵運寺(えうんじ)で、「正忍記を読む会」が発足した。現在会員は30名ほど、1回/月の講座で約3年をかけて読み終える計画である。
この会が発足するまでに興味深い経緯があるので、概略をご紹介しようと思う。
話は二年前の平成24年4月に遡る。恵運寺のブログで「名取家」の文字を目にした南 快枝(よしえ)氏から、「名取三十郎が眠っていないか」との問い合わせが入ったことに始まる。
南氏は翻訳家であり、イギリス人の軍学研究者で「正忍記」の英語版を出版したアントニークミンズ氏(注2) の協力者でもある。
同寺の山本住職も、その時初めて名取三十郎を知ったとおっしゃる。この名取なる人物こ
そ「正忍記」の著者で、徳川頼宜 [初代和歌山藩主(1619~1667)] に軍学指南役として仕え軍学者である。 6月になって、山本住職が名取三十郎(?~1708)の墓石と位牌を供養塔の中から発見する。
私が名取三十郎を知るのはその翌年(平成25年5月) である。和歌山市の語り部の友人からメールが届いた。「5月5日に恵運寺で名取三十郎の法要があるので参加しませんか」
とある。予備知識のないままお寺を訪ねた。参集した人は総勢20名ほど、名取家の末裔の
方々数名、しばらくしてわかったのだがアントニー・クミンズ氏と南 快枝氏ほか報道関係者等。
晴天のもと、説明板の除幕式と、供養塔から出て墓地にまつられた墓石の開眼法要が執り行われた。この日は紀州忍者の魂が、平成の世に蘇る記念すべき日だったのである。
そして準備期間を置いて、今年(平成26年3月)「正忍記を読む会」が発足した。読み解く「正忍記」はすでに英語、ドイツ語、フランス語にも訳され世界中で愛続されているという。
三重県伊賀市の忍者博物館へ行くと、名取三十郎のパネルコーナーもできていた。今後三十郎がどのように動き出すのか、忍術を使って和歌山から羽ばたくのを応援したい。
(注1) 「萬川集海」(ばんせんしゅうかい) 延宝4年(1676) 藤林安武
著
「正忍記」 (しょうにんき) 延宝9年(1681) 名取三十郎 著
「忍秘伝」 (にんぴでん) 元禄13年頃(1700) 岡山藩の伊賀者 著
(注2) アントニー・クミンズ(Antony Cummins)
イギリス在住の日本軍学研究家で、三大忍術伝書を研究するため26歳まで来日、
その後10年間で三大忍術伝書、その他多くの忍術書を英訳・出版。現在「名取軍学研究
チーム」を主宰。日本の軍学・忍法に大変詳しい。
以上