氏 名
井出 英生
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
平成26年08月24日
表 題

 烏山頭水庫

本   文 

 「暑いねえ」思わずため息が出る。最近の日本も夏は大変暑いが台湾の夏はさらに暑い。「夏の台湾など来るところではない」と思いながらも来てしまったのは夏でなければ本当に旨いマンゴーが食えないからだ。今年は旅の主目的が数年来見てみたいと思っていた「烏山頭水庫」であったこともその後押しをした。

 「広大なダム湖の周りであれば少しは涼しいに違いない」との思惑は、しかし見事に外れてしまった。黒四ダムよりも少し大きい貯水量を持つこのダム湖は竣工当時世界最大の規模を誇っていた。日本のダムの多くは発電目的であり、河川の上流部、落差の大きいところに築かれるが「烏山頭ダム」は嘉南平野を灌漑するために計画された農業用ダムである。大きな落差は必要としなかった。多分、標高200m位の場所に築かれているのだろう。湖岸に立っても期待したような涼風は少しも吹いてこない。

 しかし、それでも茫洋として広がる湖水の風景はどこか60年ほど前の日本によくあった、まだ農業が産業の主体であった頃の風景を思い起こさせる。日本のダムと言えばコンクリートで作られた無機質の、如何にも工業化の象徴のようなものを連想する。烏山頭ダムはそのようなものではない。湖の対岸の風景、昔は小高い山であったろう湖中に浮かぶ幾つかの島も自然そのものである。湖岸に生える葦、その上を飛び交う蜻蛉や蝶、燕や日本ではあまり見かけないいろいろな鳥など、まさに自然以上の自然を感じさせる。築堤は全て現地の石、砂、土を用いており、セメントは一切使用していない。その為、コンクリートダムの問題点である湖底への土砂の堆積が殆ど無いことがこのダムの特徴なのだそうだ。

 このダムを計画し、併せダムからの水を農地に注ぐための水路までの全ての工事の指揮を執ったのは金沢出身の台湾総督府土木技師八田與一である。八田は工事に当たって内地の人間も台湾の人間も全く区別せず同等に扱ったと言うことでも知られている。

 ダムの完成により広大な嘉南平野が一大穀倉地帯に生まれ変わった。八田は太平洋戦争最中の1942年、フィリピンへ向かう途中乗っていた船を米軍の潜水艦に撃沈され帰らぬ人となったが、その功績と人柄を偲んで今でも毎年国民政府総統以下多くの人たちが参列して墓前祭を行っている。

 期待したような「涼しさ」は無かった。しかし、今でも現地の人々にこれほどまでに慕われている日本人がいたことは同国人として大変誇らしく感じられたものである。

【烏山頭水庫への行き方】台南から  
 ・ 台湾鐡道台南火車站から台北方面へ5つ目の善化まで行き、
   ここから興南客運バスに乗り換える。
 ・ 約30分で烏山頭水庫停留所へ到着。
    * バスは3時間間隔位なので待つのが嫌ならタクシーで。
      善化まで往復800元(2800円)ほど。

写真1 : ダム湖の一部
  対岸のように見えるところは湖の中に浮かぶ島である。
写真2 : 八田與一の銅像
  銅像の建立を固辞したが現地の人の要望に負けて了解したと言われている。上から見下ろすことを嫌って座像とし、台座も付けることを許さなかった。
写真3 : 台鐵弁当と原住民の酒「小米酒」
  台鐵弁当は戦前から変わっていないそうである。小米酒は台湾原住民の間で作られている酒。甘口の紹興酒と言ったところ。

以上 

       
 
写真1 ダム湖の一部
 
写真2 八田與一の銅像
 
写真3  台鐵弁当と
原住民の酒「小米酒」
 
             
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