入社が昭和35(1960)年で、35年余お世話になった。最近よく同年代の会話に出るのは、この頃日本は良くなる一方で、概して幸せだったね、ということ。石油危機など試練もあったが、前向き、順調に人生を進んできた、との感想が共通している。
初めて東亜燃料工業株式会社の名を知ったのは、大学3年本郷に進級した昭和31年であった。某社の奨学生募集(ノーベル賞受賞者根岸君はこれを受けた)の張り紙を見て、学科事務室を訪ねた。事務の小川さんから、それなら今年からできた「新日本奨学会」を受けなさい、と紹介された。そこで設立者が応用化学の素晴らしい先輩で、受給条件も良い、とベタほめ。中原延平さんについて一席伺い、会社とは無関係で、就職も縁はないが、といいながら会社の内容も少々知らされた。これを受理され、役員の方々の面接を受けて横倉氏らとともに無事合格。呉服橋交差点の銀行の階上にあった本社に毎月受領に行った。
当時証券会社勤務の伯父が東燃の優秀さを知っていたが、株屋には著名でも、街にはペガサスしかスタンドがないから、石油会社と知る人は自分の周りに殆どいなかった。
大学~院では窯業を研究したが、昭和34年晩夏の入社追加募集に応えて35年に入社した。以後、私だけではないと思うが、いろんな分野に異動して、社内外の人士と出会えた幸せを、箇条書きにしてみた。
1. 新入社員研修中~研究所@清水に配属一年目
コーラスに誘われ、音楽好きの社内外の先輩・友人と知り合い、楽隊も経験
2. 埼玉の中央研究所 石油精製触媒の研究、開発
大学では石油門外漢だが、触媒担当になり、我が道を行く思い、少々上ずり。
軟式庭球部に加わり、近隣での競技に参加して、所内外で知人己が増えた。
3. 大岡山の東京工業大学研究生 触媒研究手法の習得
斯波研究室のOB,学生、他触媒分野に知り合いが大勢できた。
4. フロラムパークのEREのローニー出向 VGOHD設計パッケージ作成
EssoEngineeringプロセス課、バトンルージュEssoResearchLab.で知己。
5. 竹橋の技術部出向 間接脱硫設計に従事
製油/機械/計測の技術者に知己ができた。
6. 和歌山工場の製油管理課、製油部 生産計画、製油各種業務の管理
工場各部署(運転、保全、購買、試験、勤労、会計、環安)で知己ができた。
テニス部に誘われ、社内や有田などの愛好者と知り合った。
7. 中研の燃焼研究、兼分析実験部 燃焼/試験/パイロット/諸分析の統括
トヨタ自動車研究者、エッソ石油担当者に知己ができた。
弓道部に加入、社内外の愛好者たちと知り合った。
8. 調査部 特許情報と図書管理
JICST,本屋に土地勘ができた。
9. 石油産業活性化センター(PEC)
エネルギー庁官吏、石油連盟職員、石油等他社研究管理者、エンジニアリング/
シンクタンク各社技術者の大勢の方々と知り合えた。
10. 東燃不動産 人事、福祉、経理その他事務分野の方々と知り合えた。
11. .嘱託、総研所長顧問 理科系異分野の大学教授たちと知己になった。
添付写真
写真1 1960年 35年大卒入社記念日
写真2 1965年頃 東工大斯波研究の皆さん
写真3 1975年 シンガポールで製油管理講習会
写真4 2002年 PEC-同期コンペ
写真5 2003年 東燃不動産「同窓会」
写真6 2014年 35年大卒入社同期会
なお、テーマ投稿「東燃創立75周年に寄せて」の締め切りは8/31でしたが、
原稿は同日までに到着していました。念のため申し添えます。(HP編集委員会)
以上