氏 名
新関 久男
 所 属
東燃化学OB会
 掲 載 日
平成26年11月16日
表 題

 喜寿を迎えました

本   文 

 なってみると、あまり感激もないが、人生50年という言葉があるように、1.5倍は生きている勘定になる。OB会の定例で、表彰を受けた。幹事から依頼を受けたので、会社生活を思い出しながら、書いてみたい。

 東燃入社後、一年もたたないのに、石油化学に転出した。働くにはどこでもよかったが、新人のまま、川崎工場で上司の言われたままに、やったつもりであるが、どうも期待通りではなかったのではないかとか、と思う。自分自身どう変えるのでもなくて、われなりに仕事をやってきたつもりである。

 川崎工場は埋め立て地であったので、仮事務所の周りを歩くと、雨が降った後に、落とし穴みたいにずどんと埋まったこともあった。まだ若手だったので最初の駅伝のメンバーになって、当時はまだ、公道がすいていて浮島橋の向こうの、殿町小学校?(はっきり記憶なし)で待っていたが、待てど暮らせど来ない。ようやくきた方からタスキをもらって走ったが、前後誰もいないので気合が入らなかった。当時の写真が残っていた。皆さん写真の人物、誰かわかりますか。

 同期生では工場に居座ったままであったので、このままかなと思っていたら、突然本社に転勤になった。あまりの違いに驚いた。生来気が利かないほうなので、どう動いていいかわからなかった。

 最後はバブルがはじけて、窓際族で終わるかと思ったら、インドネシアでエンジニアとして、勤務させていただき、米国でのRPP市場開発と併せて、世界の発展途上国から最先進国まで経験させていただき、世界は広いとつくづく感じた次第である。

 余命はどのくらいか、わからないが、健康に気をつけて、過ごしていきたい。

                                       平成26年11月8日記

 添付写真
  1)第一回駅伝管理課メンバー(中央本人)
  2)本年度OB会にて(右端本人)

以上 

     
 
写真1
 
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