快晴の11月15日(土)和歌山県かつらぎ町主催のツアーに参加し、串柿作りを見学、体験して来ました。かつらぎ町北部に位置する四郷(しごう)地区は、和泉山脈南斜面中腹(標高約300~500m)の山林や柿畑の中に、萱葺きの民家が残る日本一の串柿の里です。紅葉した山と柿畑の間の急峻な山道をウオーキングして、各加工場を語り部の話を聞き、見学して来ましたので、紹介させて戴きます。
四郷での串柿作りの始まりは、約四百年前の戦国時代末期に豊臣秀吉が大阪城で、正月の鏡餅に串柿を供えたのが始まりと云われています。柿は“よつみぞ”、“あおそ柿”、と呼ばれる小形渋柿の皮をむいて竹串に刺します。10個串と5個串が有り、10個串は串の両端に各2個、中に6個“いつもニコニコ(2個2個)仲むつ(中6つ)まじく、共に白髪の生えるまで”、5個串は串の両端に各1個、中に3個“1人1人(1個1個)が皆(3個)しあわせに”の語呂合わせだそうです。
串は10本を一連にして、縄で網上げて、和泉山脈を越えてくる北風が吹き抜け、太陽の日差しが降り注ぐ日当たりが良い庭や、山の斜面の干し場に吊るし、見た目には黄金の玉スダレのようです。なお柿の皮むき以外は、今もほとんど手作業です。
串柿は“三種の神器”の剣を表し、鏡餅が御鏡、橙が勾玉を意味し、西日本では正月に縁起物として欠かせない供え物です。しかし正月の餅が切り餅の地域では、昔から使われず、丸餅の地域(関ヶ原が分岐点、近畿以西)で飾られているようです。
正月用に四郷地区から出荷される串柿は、以前は約百万串、柿の数にすると一千万個にも上りましたが、今では生活様式の変化等で毎年減少しているそうです。それでも全国シェアの約9割と、生産量日本一との事です。
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