東燃化学と住友化学は輪番投資により、住友化学が昭和44年秋に、東燃化学が昭和46年秋スタートアップを目途で決着した。NO3スチームクラッキング装置起工式昭和45年9月10日、完成は昭和46年6月、昭和46年12月16日にフィードインし約36時間でエチレンがオンスペックとなりました。
当時、工場に泊まり込みでオレフィンと東京ガスのバランスを管理し、12月22日NO1スチームクラッキング装置の運転停止を判断しました。3基のスチームクラッキング装置が同時稼働した記録は7日間でした。
昭和51年9月まで9年間オレフィンの生産管理業務を担当し、川崎工場での15年間の務めを終えました。
その後、10月から本社人事部組織管理課5年、昭和56年3月から千鳥工場事務課で総務・労政を5年担当、昭和61年8月大阪支店総務課で関西営業支店の総務業務を担当しました。 平成元年5月本社総務部部長付30年史編纂室で平成2年12月で創立30周年となる東燃化学の社史編纂業務を4年間担当、平成5年3月30年史稿本・資料編・年表を森川・橘川両先生の指導・監修を受け答申しました。
企業環境が厳しくなり東燃化学30年史の発刊は取りやめとなりましたが、30年史稿本・資料編纂の仕事は私の大切な思い出として心に刻み込まれています。
平成5年7月日栄工業(株)に出向、産廃管理室・平成7年3月総務課(産廃管理兼務)、平成9年6月1日付定年退職辞令を東燃グループ恵比寿プライムスクエアータワーで横倉社長より受けました。同6月2日付日栄工業(株)入社、平成14年12月まで嘱託勤務を務め、総務・労政を担当し9年間お世話になりました。
この間平成11年12月日栄工業の創立50周年記念パンフレット「50年のあゆみ」の編集に参加させていただきました。
定年退職まで42年間東燃グループの中で、優れた上司・先輩・同僚に恵まれ、私と家族を育ててくれましたことを感謝します。
退職後も東燃OB会・TCCOB会に参加させていただき17回目で喜寿のお祝いをいただきました感謝いたします。
75歳を超え体力の衰えと、足腰の弱りを感じますが、70歳の春に日野原重明先生の講話を聴き、「新老人の会」に夫婦で加入し毎月の会報で、健やかなシニアライフのありかたを学び心の支えとしています。また所属している教会の日曜礼拝に参加し、教会の小さなボランティア活動に、地域の方との交流と地域環境維持に参加しています。
家庭では、早朝散歩による健康維持と小さな庭のガーデニングを楽しんでいます。 東燃グループOB会の発展と皆様のご健勝を心からお祈りいたします。
以上