2月11日、和歌山OB会の向井さんから「御田を見に来ないか」と電話が入った。
絶好の祭り日和である。和歌山工場がある初島町から有田川の上流へ車で1時間20分、
有田川町久野原(くのはら)に着いた。
御田は和歌山県の無形民俗文化財に指定されており、田に神を呼び豊穣を祈る祭り、「御田祭」や「御田植祭」が簡略にされた呼称という。
祭りの関係者が御田宿(おんだやど)で身を清め、着付けして“お渡り”へと移る。この行事
を含めて、祭りの終りまで太鼓と謡囃子(うたいばやし)が、のどかな山村に一日響き渡った。
“お渡り”は岩倉神社までの約300mの馬場を、27番ある謡囃子を唄いながら粛々と進む
ので30分を要する。この様子は嘉永四年(1851)に完成した「紀伊国名所図会」にも描か
れており、歴史から考察すると祭りは15世紀前半頃に始まったとされている。
御田の舞は、神社の境内に舞台をしつらえ、婿と舅が話しながら田作りから田植え、稲刈
りから神様への籾供(もみぞなえ)を終えるまでの様子を22の場面(22番唄)に作られている。
二人の話は、舞台に向かい合って着座した10名ずつの謡衆が婿と舅の役に分かれて太
鼓に合わせて延々と唄う1時間半の舞台である。要所に出てくる早乙女がなんともかわいい。
単調で三度ずつ繰り返す謡囃子、現在人には観賞がしんどいかもしれない。しかしこの地
に住んだ先人は地頭の横暴に苦しみ、冷害におびやかされる生活の中で、この祭りに一年
の豊穣を祈るには、まだ時間が足りなかったかもしれない。そんなことを話しながら向井さんと帰途についた。
写真1 御田宿での祭り初めの唄
写真2 「紀伊国名所図会」に描かれたお渡り
写真3 御田当日のお渡り
写真4 牛呼び・田おこしの場面
写真5 苗褒め(苗代が順調で感謝する)場面
写真6 田うえの場面
以上